2008年10月30日木曜日

アジア料理

今日は早めに仕事を切り上げ、本部から来ている人と、新しく日本の「寺子屋プロジェクト」でシエラレオネに来たKさんとベトナム・中華料理レストランの「Indochine」で晩御飯を食べた。やはりアジア料理はしっくりとくる。少し食べ過ぎたので、胃薬を飲んで寝よう。

2008年10月25日土曜日

しばらく

ここ最近、内部の変革仕事に追われている。週末もずっと働いているため、ブログを書く時間があまりない。しかしこれも後1週間くらいで一段落する。もう少し頑張ろう、、、。

2008年10月19日日曜日

大漁

昨日午前11時頃海岸沿いをドライブしていた時、漁師たちが網を揚げているが目に留まった。

当然最も新鮮な魚が手に入るということで、これは是非と思い、魚を挙げるのを待っていた。最近食べていない、ロブスターやサバが、鯛などに混じって網にかかっていた。



色々迷った挙句、サバを2匹(一匹300円)、ロブスター(500円)、鯛(300円)、イカ(300円)購入。

(網にかかった魚↓)

(ロブスター↓)



ロブスター、鯛、サバを刺身で。そして、鯛、サバとしめサバの寿司を食べた。海沿いならではの生活。

2008年10月11日土曜日

関係の重要さ

先月、非常に重要なポストを占めていたシエラレオネ政府の人が辞任した。この話の裏にはいろいろと政治的な話があるらしいが、新政府誕生以来、この人と我々の機関は、非常に密な関係を築いてきており、信頼が徐々に形成されてきたところだったので、皆とても驚き、この人事の影響を心配した。

しばらくして後任が発表されたが、これも何かと一緒に仕事を進めて来た人。彼の元で進めていた話が、さらに高いレベルでフォローアップ出来るので結果的には問題もなさそうだ。そして、今はそれ以外のプロジェクトについてのブリーフィングを進めているところだ。

どんな仕事でもそうだろうが、開発界での人間関係、特に受け入れ政府との関係構築は非常に重要だ。これがあるかないかでプロジェクトの進捗状況が左右されるし、少し無理を聞いてもらう時にも鍵になる。さらに重要な政府内の情報を電話で教えてくれたりもする。また、重要なポストを占める人自身だけではなく、その周りで実務を支える人との関係構築も重要。以前の事務所で、私の部署のアシスタントが、政府企画省のダイレクターのアシスタントと非常に関係がよく、多くのことがスムーズに流れたのをよく覚えている。
私もさらに信頼関係を築いていきたい。

2008年10月9日木曜日

援助の効率性の議論について

アクラの援助の効率性に関するハイレベル・フォーラムが最近ガーナで開催され、援助の効率性に関する議論もまだ冷め止まない。援助の効率性という課題は、シエラレオネでも非常に重要な位置を占め、ドナーが集まるところでは必ずと言って議論で言及される。

最近思うのは、この議論は、やはり援助側が作りだした問題を解決しようとしているのではないかということ。私は生まれていなかったのであまり確信をもっては言えないが、例えば、戦後の日本の復興が、今のシエラレオネのように、何十ものドナーからサポートされ、それもバイやマルチや、PRSPやジェンダーや人権や紛争予防や様々な「条件」を付けられていたとすれば、あの様なスムーズな高度経済成長を迎えることが出来たのだろうか。

この国で様々な会議に参加して、シエラレオネ政府側からの開発政策指揮の難しさがだんだんと理解できるようになってきた気がする。シエラレオネ政府側が改善できることが多いのは確かだが、ドナー側が反省することも非常に多いはずだ。

2008年10月8日水曜日

友人の話

同僚の友人が、ここ最近悩んでいる。

彼は今NYの本部に勤務しているが、彼の妻が最近ジュネーブに勤務することが決まった。彼女はどうもNYがあまり好きでないらしく、ヨーロッパで仕事を探していた模様。しかしいったん彼女の職が決まると、別居するというオプションが受け入れにくくなった模様。

以前は彼の職場がNYということもあり、彼女が医者という職を休職してNYに一緒に引っ越しをして来た。しかし今回は、彼の方が、彼女に合わせるべきだというのがお互いの意見のよう。

だがジュネーブで職を探すといってもそれほど簡単にはいかない。幸い国連機関の本部が多くあるので国連関係の仕事を見つける可能性は低くないが、彼はそれほど楽観的でもなく、国連以外の職探しも考えていると言う。国際的カップルがプライベートと仕事を両立させるのは簡単ではない。

2008年10月4日土曜日

国連における「手紙」

国連で仕事をする上で、結構手こずるのが「手紙」。いくらEメールが発達したとはいえ、公式にコミュニケーションをする場合には、手紙が使われる。最終プロジェクト文書の調印を促す時、本部からのえらいさんが出張でやってくると政府に伝える時、ドナーにレポートを送る時、政府からの支援要請の手紙に返信する時、内部での重要な決定事項をスタッフに伝える時などなど。

最初に「国連の」手紙を書かされたのは、もう5年以上前にもなるが、最初は上司の「赤ペン」が入りまくり、何度も何度も書き直された。以前働いた会社では要件を簡潔に伝えることを訓練されていたため、手紙の内容を「ふくらませる」ことにはかなり手こずった。同僚に見てもらっても、もっとFlower upしろと言われ、途方に暮れたのを覚えている。
さらに、上司によって少しずつスタイルが違う。感覚では、よりシニアで国連経験が長い人は非常に細部にまで気をつかう。2年ほどで大分手紙に慣れてきたところで、新しく働くことになったスウェーデン人の駐在調整官に手紙のドラフトを見せたところ、真っ赤になって帰ってきた。彼は手紙には特に厳しく、何度も書き直された。私がこのオフィスを去る直前に、ある非常に長い手紙を書いてくれと彼に言われ、気合を入れて書いた手紙が、一語も修正されずにサインされた時は、自然にガッツポーズがでた。
最近はさすがに手紙に慣れて、同僚の手紙を修正したりする役割が多くなった。ところが、ここ最近シエラレオネにやってきたベテランの臨時駐在代表に、私が書いた手紙がとことん修正されている。いつになったら修正なしの手紙が書けるようになるだろうか。

2008年10月1日水曜日

お隣さん

昨日はお隣さんのイタリア人夫婦(アレサンドロとニコレッタ)とその赤ちゃん2人(ミカエルとルカ)がディナーにやってきた。彼らはイタリアのカソリック系NGOで働いており、フリータウンで学校建設をしている。ルカは生後4か月だが、もう10キロとばかでかい。2歳になるミカエルと同じくらいのサイズ。この国でこの二人を育てるのは相当大変だろう。