2008年12月31日水曜日

フリータウンの大晦日

2年連続、フリータウンで迎える大晦日。

大晦日とはいえ休日ではないので、オフィスに来ている。ボスは皆休暇でおらず、私が一応、UNDPの責任者ということになっている。が、人がいない。オフィスに来るべき人も来ていない。電話をすると、体調が悪いだの色々な理由をつけてくる。まあ年末年始なので少し大目に見た方がいいのだろうかとも考えながら、静かなオフィスで年末年始のレポーティングや来年の計画作りを地道に行う。

振り返れば、今年も怒涛のように過ぎて行った。一番時間を使ったのが、内部の経営・人事革新だろうか。後は、海外に住むシエラレオネ人を呼び戻すプロジェクトと大統領府のアドバイザー・チームを支援するプロジェクトでも結構時間を費やした。要所要所で政治的な出来事が起こることもあり、物事が進むスピードは相変わらずゆっくりだが、まずまずの進展が見られた。個人的思い入れが強い「開かれた政府プロジェクト」も、日本人JPOのS氏の地道な仕事ぶりのおかげと政府側のチームに恵まれたこともあり、順調に進んだ。来年のUNDP全体の2008年次報告書でUNDP支援の成功例としてフィーチャーされる可能性も出てきた。本職の外でやっている私の提言プロジェクトも、環境とコミュニティー開発分野で、新たに9つの提言が発表され、コンテンツの量、質とともに、認知度も高まってきたと感じる。

このブログも何とか定期的に更新ができている。読んでくれている方々、どうもありがとう。

さて、来年も頑張りましょう。

2008年12月25日木曜日

フリータウンのクリスマス

今年も年末年始とフリータウンで過ごすことになっている。この時期は海外で暮らすシエラレオネ人が大挙して帰ってくる。先週夜遅くにビーチ沿いを車で走っていたら、道路が車と人でいっぱいになっていた。音楽があちこちから聞こえ、立てかけの家が即席のクラブと化している様子だった。

ビーチはひとであふれ、みなサッカーをしたり、ピクニック(?)をしたりと平和な雰囲気で溢れている。街のスーパーはクリスマスのデコレーションをしており、夜になればライトがつく。 とりあえず、シャンパンでもいただこう。



明日はレバノン人の大家の、ビーチ沿いの家のパーティーに招待されている。
















2008年12月21日日曜日

The Great Debaters

DVDでデンゼル・ワシントン監督・主演のThe Great Debatersをみた。1930年代のアメリカのテキサス州にあるワイレイ大学が舞台。このアフリカ系アメリカ人中心の大学のディベートチームがハーバード大のディベートチームに勝つまでの過程を、南部での黒人差別の状況、公民権運動とともに鮮明に描く。

シエラレオネの首都であるフリータウンは、18世紀から19世紀後半の間に、アメリカやイギリス、カリブ諸国からの解放された黒人奴隷によって築かれた街。さらに、フリータウンから20マイルほど離れたブンス島は、17世紀後半から奴隷貿易の中心地として栄えたところ。ここで取引されていた奴隷が、アメリカの南キャロライナ州やジョージア州などで、米作の文化を発展させた。コリン・パウエル元米国務長官もこの島を訪れて、自己のアフリカとの関係を再確認したと言う。
映画を見ながら、アメリカとシエラレオネの歴史的つながりを考えた。

2008年12月20日土曜日

芳しくない体調

昨日よりどうも体調が良くない。風邪だろうか、仕事中も、ティッシュをいくら使っても足りないくらい。昨日は仕事を終えて、薬を飲んで早めに寝た。

今日は、仕事が少し残っていたのでそれを片付けたあとは、午後ベッドで少し横になっていた。夜は、自分で言い出した「忘年会」があったため、参加したが、未だ完全ではない。今日も薬を飲んで寝ることにしよう。

2008年12月17日水曜日

不況も関係なく、、?

前回、不況と開発援助について書いたが、先月東京の行きつけのバーで常連の客と話したことを思い出した。

その人は、東京の青山の美術商(骨董品屋)を経営する方で、7-8年前からこのバーでよく立ち話をする人。少なくとも50代半ばだろうが、ポルシェに乗ってブイブイ言わせている、非常に若い方だ。

国連の仕事の話などをしている時に、彼は近年「意義のある」ことをしたいと言い、彼自身で考えている1000万円ほどの寄付で何が出来るかを聞いてくれた。学校建設などの支援が出来ればと言っておられた。近年のNon-Profitブームもあるが、この不況の中でも余裕がある人は余裕があるのだなと思った次第。

2008年12月14日日曜日

金融危機の開発援助に対する影響

世界恐慌以来の不況と言われている今、景気の良い話はなかなかない。どこの会社が何千人の人きりをするとか、事業から撤退するとか、工場を閉鎖するとか、そういった類の話ばかりが耳につく。しかし、この世界的不景気の中、開発援助の世界では目に見える変化は起きていないように思われる。不況のために首を切られたとかプロジェクトを閉鎖したとか言う話はまだ聞かない。

これは、開発援助に関わるお金の大部分は税金であるODAを通じて流れるが、(任意拠出金で動いているUNDPなどの機関では)1年毎のドナーの予算策定サイクルで来まるのため、今のところは、まだ去年に受け取った資金で切り盛りしているからだ。しかし来年、再来年のODA予算は各国で減少するだろうということは容易に予想できる。ある記事では、30%もの減額が予想されている。 

もし30%の減少ということになると、まずは、プロジェクトに対する収入が減ると思われるので、新しいプロジェクトが出てきにくくなるだろう。追加の資金が見込まれていた、すでに始まっているプロジェクトも縮小せざるを得ないかもしれない。 また、コアファンドも減少すると思われるため、(国家公務員規定で守られている)コアスタッフの雇用に影響を及ぼすということもあり得るかもしれない。さらに経営の効率化へのプレッシャーが増加するだろう。


とはいえ食糧価格の上昇などで、貧困層が1億人増加したと言われているこういう時こそ国連機関が役割を果たすべき時。少ない予算で最大のインパクトを出せる仕組みをさらに作って行かなければいけない。

2008年12月11日木曜日

命の尊さ

先月ドライバーのヘンリーの息子が亡くなった。腸チフスとマラリアの両方にかかり、病院に行ったが助からなかった。別の同僚の息子も病気でかなり危険な状態まで行ったと聞いた。

また、非常に親しくしている大統領府の役人が、先週末車で大事故を起こし、重症を負った。一緒に車に乗っていた彼の奥さんと運転手が亡くなった。その前の週は、プロジェクトのスタッフが自動車事故で重傷を負った。

オフィスで普段働いても、よく、彼の父親が亡くなったとか、いとこが亡くなったとかいう話をよく聞く。どう考えてもこの死亡の知らせは日本と比べれば考えられないほど頻繁だ。平均寿命が42歳に満たない国にいるということをますます肌で感じる。

2008年12月6日土曜日

バンコク騒動での個人的被害

今週木曜日の空港閉鎖終了で、やっと金曜日にバンコクを脱出することが出来た。ブリティッシュ・エア便で東京を経由して、今はロンドンにいる。明日の接続フライトまで時間が空いているので、ロンドン、ヒースロー空港に隣接しているホテルに一泊することにした。 

バンコクでの騒動のため、もとも予約していた1週間前のBMIのロンドン・フリータウンの直行便に乗れなくなったのだが、12月は多くの欧米に住むシエラレオネ人が一斉に帰省するクリスマスシーズンということもあり、チケットの変更が12月19日までできないと言われた。さすがにそれまで待てないので、新たにカサブランカ経由のチケットを片道で買う羽目になった。旅行保険には入っていなかったため(旅行保険に入っている人ってどれほどいるのだろうか?こういったForce majeureをカバーする保険はどれほどあるのだろうか?)、自腹で追加費用を払うこととなった。 また、バンコクを出発する当日にも、成田からロンドンのフライトが急にキャンセルされ、乗れるはずだったもう少し便利なロンドン発の便にも乗れなくなった。

とはいえ、バンコクから出られなかった場合を想定して、バスで10時間かけてカンボジアまで行ってそこから飛行機に乗るというオプションも考えていたので、時間的にもコスト的にもそのシナリオをまぬがれることが出来、不幸中の幸いということなのかもしれない。

2008年12月4日木曜日

アウトライアーズ(Outliers):例外的な成功者達

Tipping PointBlink!がベストセラーとなったマルコム・グラッドウェルの最新刊、Outliers: The Story of Successes を読んだ。この本の議論は、個人のIQや努力などといった成功の秘訣と言われるものは、実際は本当の成功の原因に一部でしかなく、家庭状況、育った時代や運といった要素が大きく影響を及ぼしているというもの。

例えばカナダのホッケーチームやチェコのサッカーチームの代表選手のほとんどは1月から3月生まれで、これらの月に生まれた人達はいつも同じ学年のなかでは最年長で(同じ年の1月生まれから12月生まれの生徒が同じ学年に入学する)、知能的にも肉体的にも他の生徒よりも勝っており、この少しのアドバンテージがこのグループの自信を増長させ、さらに技術が上達していくという。逆にいえばある年の後半に生まれると、それだけ不利な競争を強いられることになり、結局トッププレーヤーは生まれていない。

さらに、ビル・ゲイツなどの生まれ育った環境や、早期の最新のコンピュータへの容易なアクセスを説明し、能力だけが今のビル・ゲイツを作り上げたのではないとも言う。その他にも、今世紀の最も資産の大きいひと100人を分析し、1930年代に生まれた人が最も多く、その理由が、世界恐慌後の経済回復と、人口の少なさ(よって比較的競争率が低い)、第二次大戦の時期などを挙げている。

議論としては面白く、取り扱っている事例によってはよくリサーチが出来ている。開発援助に携わっている者の視点から言えば、決定論的要素がかなり大きく、たとえば今のシエラレオネでは、どれほどの「成功者」を生み出す土壌があるのか考えされられる。彼の論理が正しければ、例えば成功を生み出す条件の揃っている国、分野、地域に開発援助投資を集中させるということも考えられるかもしれない。

とはいえ、本の後半になるほど、色々な成功例を強引に彼の議論で説明しようとしている感が否めない。結論として、前作ほどの読み応え感はないというところか。

2008年12月2日火曜日

帰れない!

まだ続く反政府グループの空港占拠で、先週金曜日に乗るはずだったANAのフライトがキャンセルになった。今週金曜日のフライトにリスケされたが、現在の状況ではこれが飛ぶかも分からない。臨時便は毎日出ているが、直前になるまで飛ぶか確定しないし、席も10分ほどですべて完売になる。さらにバンコクを出ても、ロンドンからフリータウンの便がクリスマスシーズンのため12月19日までエコノミーは満席だという。金曜のバンコク発便に乗れた場合に、ロンドンからのビジネスクラスで席が1つだけ残っているようなので一応押さえてもらったが、ちょっと高過ぎる(片道50万円!)。

よって今日から、今のルート以外を探し始めたがこれもかなりきつい。ここからシンガポール、マレーシア、ジャカルタ、フィリピンなどの東南アジアのハブに行く便は軒並み満席。ウクライナのキエフ経由(その後、ドゥバイ、ナイロビを通ってフリータウン)の飛行機がもしかしてとれるかも知れないと言われたが、この便もまだ確定していないそうだ。

さらに今日からは、バスでカンボジアに行き(10時間!)、そこから飛行機に乗るというオプションも考慮し始めたが、来週の前半まで予約でいっぱいだそうだ。フリータウンに戻れるのはいつになることやら。

現在までに約30万人の旅行者がバンコクで足止めを余儀なくされている。