昨日わざわざヘリポートまで見送りに来てくれてありがとう。ビールを飲みながらヘリコプターを待った。
さて、過去2年間のシエラレオネ滞在の中で、仕事、生活に関して感じたことをいろいろと書いてきた。数えてみたがエントリーも180回。
今月いっぱいでシエラレオネ勤務を終えるため、このブログも今回を最後としようと思う。ニューヨークに移ってからは、新しいテーマでブログを始める予定だ。
今後ともよろしくお願いします。
2009年3月17日火曜日
2009年3月16日月曜日
お別れパーティーその2
昨日の昼は、オフィスの上司が、日本人スタッフとよく一緒に働いた政府カウンターパートを呼んでベトナム・中華料理のインドシンでお別れのランチを催してくれた。親しくしてもらった大統領府大臣からも、出張中のプジャフン県から激励の電話をもらった。
2009年3月10日火曜日
2009年3月9日月曜日
Dead Aid
ザンビア出身でゴールドマンサックスなどで働いたDambisa Moyo氏の書いたDead Aidが話題となっている。先日もBBCのハード・トークでも取り上げられていた。要約すると、アフリカへの開発援助は全く非効率で効果がないどころか、汚職や援助への依存、そして市場メカニズムへの悪影響を及ぼしており、援助そのものをやめてしまった方がいいという趣旨。かなり極端な意見だが、そのために物議をかもしだし注目を浴びている。
開発援助の効率性に関しては今まででも頻繁に議論されており、我々も先月政府との共同ワークショップで、援助資金が実際に人々の生活に影響を与えるまでにどのようなアクターの手を通り、その中でどのような問題が出てくるのかについて話し合った。
図に示されているように、大まかに自国の資金と海外の資金があるわけだが、このインプットを使って、MDGの達成というアウトカムをどこまで出せるか。
しかし、よく見てみると、元のお金がそのまますぐに貧困層の人々の手に渡るわけではない。通常はその間に国際開発援助機関、NGO、民間会社などの多くのアクターの間を巡り巡っていく。
お金がこのように複雑に流れる時、多くの問題も出てくる。例えば、開発援助機関での人件費に使われたり、あるNGOを選ぶ際に時間がかかり過ぎたり、大規模のプロジェクトを回せる地元の民間企業が存在しなかったり、などなど。お金がこれらの「中間業者」の人々の手を廻っている間にほとんどなくなっていたりもする。元の資金が最終的な裨益者にまで届くには数々のハードルがあるのだ。
前述のワークショップでは、この複雑な仕組みを所与として、どのように一つ一つの問題を解決できるかが主な問題設定だったが、これらの「中間業者」を取っ払うとしたらどうなるか、、、?
私自身、援助のうまくいっていない部分色々と見てきた一方、うまくいっている部分も見てきたため、一概に援助が機能していないという議論には賛成できない。しかし、この本が問う問題は真剣に考える価値がある。
2009年3月8日日曜日
2009年3月4日水曜日
情報交換
今週の火曜日から新しく、国連調整オフィサーとしてシエラレオネの国連チームに入ったLは、実は数週間前まで私が4月から異動することになるDOCO、しかも私の働くことになる部署に所属していた。彼女にとってはシエラレオネは初めてで、私にとってもDOCOは初めてなので、お互い情報交換をすべく、今晩お寿司を食べに行った。
色々、内部の動向や、前任者の仕事内容を教えてもらい、非常に参考になった。このチームの同僚は皆非常に働きやすいらしく、仕事の内容もダイナミックだと言っていた。私の方も、少し調整関係の手伝いをしていたこともあり、その経験を話した。
彼女は、フィールドでの仕事が初めてらしく、調整における色々な本部レベルでの葛藤を話していたが、まあ何事も教科書通りには行かないので、このフィールドの経験は重要なものとなるのだろう。私も本部の仕事はほとんど初めてなので、色々フィールドでは見えない部分が見えてくるのだろう。
色々、内部の動向や、前任者の仕事内容を教えてもらい、非常に参考になった。このチームの同僚は皆非常に働きやすいらしく、仕事の内容もダイナミックだと言っていた。私の方も、少し調整関係の手伝いをしていたこともあり、その経験を話した。
彼女は、フィールドでの仕事が初めてらしく、調整における色々な本部レベルでの葛藤を話していたが、まあ何事も教科書通りには行かないので、このフィールドの経験は重要なものとなるのだろう。私も本部の仕事はほとんど初めてなので、色々フィールドでは見えない部分が見えてくるのだろう。
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