2009年5月9日土曜日

続・平和構築の現場でかんがえた

新しいブログをやっと始めた。「続・平和構築の現場でかんがえた」というタイトル。引き続きよろしく。

2009年3月17日火曜日

平和構築の現場でかんがえた - 最終回

昨日わざわざヘリポートまで見送りに来てくれてありがとう。ビールを飲みながらヘリコプターを待った。


さて、過去2年間のシエラレオネ滞在の中で、仕事、生活に関して感じたことをいろいろと書いてきた。数えてみたがエントリーも180回。

今月いっぱいでシエラレオネ勤務を終えるため、このブログも今回を最後としようと思う。ニューヨークに移ってからは、新しいテーマでブログを始める予定だ。

今後ともよろしくお願いします。

2009年3月16日月曜日

お別れパーティーその2

昨日の昼は、オフィスの上司が、日本人スタッフとよく一緒に働いた政府カウンターパートを呼んでベトナム・中華料理のインドシンでお別れのランチを催してくれた。親しくしてもらった大統領府大臣からも、出張中のプジャフン県から激励の電話をもらった。 




同日の夜は、友人たちを呼んで最後のお別れパーティーをした。50人ほど来てくれただろうか。お気に入りのJiling中華レストランで料理を作ってもらい、さらにそこのカラオケマシーンまで調達。カラオケは当たりでかなり盛り上がった。


その後「オールドスクール」、「パディーズ」とナイトクラブをハシゴし、帰ったのが午前4時半頃。

昨日一日は、シエラレオネでの2年間の仕事について、皆から大げさなほど感謝の言葉をもらった。山あり谷ありと色々あったが、やはりクライアント側から、国の発展に貢献したと言って感謝されるのが一番うれしい。開発援助の非効率が叫ばれるが、まだまだ我々の出来ることは多い。

2009年3月10日火曜日

変化の兆し

内部変革を長い時間をかけて行ってきたが、2月から3月にかけて多くの新しい人が入ってきた。

新たに設立したプロジェクト執行支援部のヘッドのイギリス人のG、プログラム財政を担当するボツワナ人のM、もしかしたら私の後任者となるかもしれないアメリカ人のS、経済開発部のスペシャリスト、スウェーデン人のPなどなど。ローカルスタッフでも新しい人事担当者や財務担当者などが続々とチームの一員となっている。

外から入ってきたため、当初の戸惑いはあるものの新しいアイデアも持ってきてくれる。

変化の兆しがみられる。

2009年3月9日月曜日

Dead Aid

ザンビア出身でゴールドマンサックスなどで働いたDambisa Moyo氏の書いたDead Aidが話題となっている。先日もBBCのハード・トークでも取り上げられていた。要約すると、アフリカへの開発援助は全く非効率で効果がないどころか、汚職や援助への依存、そして市場メカニズムへの悪影響を及ぼしており、援助そのものをやめてしまった方がいいという趣旨。かなり極端な意見だが、そのために物議をかもしだし注目を浴びている。

開発援助の効率性に関しては今まででも頻繁に議論されており、我々も先月政府との共同ワークショップで、援助資金が実際に人々の生活に影響を与えるまでにどのようなアクターの手を通り、その中でどのような問題が出てくるのかについて話し合った。

図に示されているように、大まかに自国の資金と海外の資金があるわけだが、このインプットを使って、MDGの達成というアウトカムをどこまで出せるか。



しかし、よく見てみると、元のお金がそのまますぐに貧困層の人々の手に渡るわけではない。通常はその間に国際開発援助機関、NGO、民間会社などの多くのアクターの間を巡り巡っていく。


お金がこのように複雑に流れる時、多くの問題も出てくる。例えば、開発援助機関での人件費に使われたり、あるNGOを選ぶ際に時間がかかり過ぎたり、大規模のプロジェクトを回せる地元の民間企業が存在しなかったり、などなど。お金がこれらの「中間業者」の人々の手を廻っている間にほとんどなくなっていたりもする。元の資金が最終的な裨益者にまで届くには数々のハードルがあるのだ。

前述のワークショップでは、この複雑な仕組みを所与として、どのように一つ一つの問題を解決できるかが主な問題設定だったが、これらの「中間業者」を取っ払うとしたらどうなるか、、、?

私自身、援助のうまくいっていない部分色々と見てきた一方、うまくいっている部分も見てきたため、一概に援助が機能していないという議論には賛成できない。しかし、この本が問う問題は真剣に考える価値がある。

2009年3月8日日曜日

お別れ会その1

昨晩、日本人の友人たちがお別れ会を催してくれた。手作りコロッケやとんかつなども登場。皆さんありがとう。

その後パディーズに繰り出し、午前3時半頃に帰宅。今日は一日おとなしくしていよう。

2009年3月4日水曜日

情報交換

今週の火曜日から新しく、国連調整オフィサーとしてシエラレオネの国連チームに入ったLは、実は数週間前まで私が4月から異動することになるDOCO、しかも私の働くことになる部署に所属していた。彼女にとってはシエラレオネは初めてで、私にとってもDOCOは初めてなので、お互い情報交換をすべく、今晩お寿司を食べに行った

色々、内部の動向や、前任者の仕事内容を教えてもらい、非常に参考になった。このチームの同僚は皆非常に働きやすいらしく、仕事の内容もダイナミックだと言っていた。私の方も、少し調整関係の手伝いをしていたこともあり、その経験を話した。

彼女は、フィールドでの仕事が初めてらしく、調整における色々な本部レベルでの葛藤を話していたが、まあ何事も教科書通りには行かないので、このフィールドの経験は重要なものとなるのだろう。私も本部の仕事はほとんど初めてなので、色々フィールドでは見えない部分が見えてくるのだろう。

2009年2月28日土曜日

閣僚再編成

2007年の大統領選での政権交代後約1年半経った昨日、コロマ大統領は新しい閣僚の顔ぶれを発表した。

この再編成は以前からささやかれていたが、ついに正式に発表された。我々にとっての目玉人事は、大統領官房にあたる大統領府大臣と、新しい財務・経済発展大臣。我々の支援する大統領府関係のプロジェクトや、ドナーと政府の関係がこれで変わっていくか。

この人事を受けて、今朝ERSGと緊急ミーティングが会った。シエラレオネはもう紛争終了から7年近く経ち、緊急対応の時期は終わっているが、こういった政治的変化には人道支援と同じくらいのスピードで対応する必要がある。

2009年2月23日月曜日

奇妙なバッタ

コノ県で見つけたバッタ。やけに変わった色をしていたので写真に撮っておいた。こんな色のバッタ多くいるのだろうか?

2009年2月22日日曜日

ダイアモンドが採れる街 パート2

前回の続き。

大統領が、「開かれた政府」プロジェクトのコノ県訪問の一環で行ったもう一つは、南アフリカのダイアモンド発掘会社 Koidu Holdingと住民の対話促進。


この会社はコノ県で採掘活動を拡大しているが。その過程で新しい採掘現場に住む人たちを移動させる必要が出てきた。話し合いの中で再定住地が決まり、電気や水道施設などを導入することなども合意したという。しかし実際に、家を建て、住民が移り住んでも、電気や水が通らず住民の不満が高まり、その結果去年の12月に大きなデモを起こした。その対応をした警察官が誤って発砲し、住民の2人が死亡した。事を重視した政府は、法務大臣を座長としたグループを発足させ、この件に関する勧告書を出させたがその実行には至っていない。その後住民と会社の膠着状態が進み、大統領自身が、開かれた政府プロェクトの一環で介入をする決定をした。

今後の動向に注目したい。

ダイアモンドが採れる街

今週末は、コノ県まで1泊2日で行ってきた。コノと言えば、ダイアモンドの採れる場所で有名。今は大がかりな機械で深く掘らなければ出てこないが、以前は雨がふった後の土地を手ですくっただけでも採れることがあったという。やはり街の中もダイアモンド関係の店でいっぱい。

映画ブラッドダイアモンドで描かれたように、この鉱物が紛争を激化させたとされている。実際この場所では激しい交戦が行われたようで、多くの家が焼かれたままでなっている。また銃痕も見られる。

さて、今回は開かれた政府プロジェクトの一環で、大統領・副大統領共にコノ県入りし住民と直接ダイアモンド管理や農業などについて議論を代わすというのが目的。大統領初の訪問ということで、街中のムードも高まっていた。

色々あって、結局副大統領が、大臣数人とともに住民と対話をすることになった。 手で口を覆っているのが副大統領。その奥が大統領府大臣。

なかなかいい質問が出てくる。 約2時間の対話も無事終了。片道6時間かけて、ついさっき帰ってきた。今日はよく寝れそうだ。議論の内容などはまた次回に。

2009年2月16日月曜日

パーティー

ユニセフでインターンをしていたMさんとエバの送別会を兼ねて家でパーティーを催した。日曜日の午後4時から10時頃まで続いた。30人ほどの友人が来てくれた。月曜日は少し二日酔い気味だったが、、、。