2008年12月31日水曜日

フリータウンの大晦日

2年連続、フリータウンで迎える大晦日。

大晦日とはいえ休日ではないので、オフィスに来ている。ボスは皆休暇でおらず、私が一応、UNDPの責任者ということになっている。が、人がいない。オフィスに来るべき人も来ていない。電話をすると、体調が悪いだの色々な理由をつけてくる。まあ年末年始なので少し大目に見た方がいいのだろうかとも考えながら、静かなオフィスで年末年始のレポーティングや来年の計画作りを地道に行う。

振り返れば、今年も怒涛のように過ぎて行った。一番時間を使ったのが、内部の経営・人事革新だろうか。後は、海外に住むシエラレオネ人を呼び戻すプロジェクトと大統領府のアドバイザー・チームを支援するプロジェクトでも結構時間を費やした。要所要所で政治的な出来事が起こることもあり、物事が進むスピードは相変わらずゆっくりだが、まずまずの進展が見られた。個人的思い入れが強い「開かれた政府プロジェクト」も、日本人JPOのS氏の地道な仕事ぶりのおかげと政府側のチームに恵まれたこともあり、順調に進んだ。来年のUNDP全体の2008年次報告書でUNDP支援の成功例としてフィーチャーされる可能性も出てきた。本職の外でやっている私の提言プロジェクトも、環境とコミュニティー開発分野で、新たに9つの提言が発表され、コンテンツの量、質とともに、認知度も高まってきたと感じる。

このブログも何とか定期的に更新ができている。読んでくれている方々、どうもありがとう。

さて、来年も頑張りましょう。

2008年12月25日木曜日

フリータウンのクリスマス

今年も年末年始とフリータウンで過ごすことになっている。この時期は海外で暮らすシエラレオネ人が大挙して帰ってくる。先週夜遅くにビーチ沿いを車で走っていたら、道路が車と人でいっぱいになっていた。音楽があちこちから聞こえ、立てかけの家が即席のクラブと化している様子だった。

ビーチはひとであふれ、みなサッカーをしたり、ピクニック(?)をしたりと平和な雰囲気で溢れている。街のスーパーはクリスマスのデコレーションをしており、夜になればライトがつく。 とりあえず、シャンパンでもいただこう。



明日はレバノン人の大家の、ビーチ沿いの家のパーティーに招待されている。
















2008年12月21日日曜日

The Great Debaters

DVDでデンゼル・ワシントン監督・主演のThe Great Debatersをみた。1930年代のアメリカのテキサス州にあるワイレイ大学が舞台。このアフリカ系アメリカ人中心の大学のディベートチームがハーバード大のディベートチームに勝つまでの過程を、南部での黒人差別の状況、公民権運動とともに鮮明に描く。

シエラレオネの首都であるフリータウンは、18世紀から19世紀後半の間に、アメリカやイギリス、カリブ諸国からの解放された黒人奴隷によって築かれた街。さらに、フリータウンから20マイルほど離れたブンス島は、17世紀後半から奴隷貿易の中心地として栄えたところ。ここで取引されていた奴隷が、アメリカの南キャロライナ州やジョージア州などで、米作の文化を発展させた。コリン・パウエル元米国務長官もこの島を訪れて、自己のアフリカとの関係を再確認したと言う。
映画を見ながら、アメリカとシエラレオネの歴史的つながりを考えた。

2008年12月20日土曜日

芳しくない体調

昨日よりどうも体調が良くない。風邪だろうか、仕事中も、ティッシュをいくら使っても足りないくらい。昨日は仕事を終えて、薬を飲んで早めに寝た。

今日は、仕事が少し残っていたのでそれを片付けたあとは、午後ベッドで少し横になっていた。夜は、自分で言い出した「忘年会」があったため、参加したが、未だ完全ではない。今日も薬を飲んで寝ることにしよう。

2008年12月17日水曜日

不況も関係なく、、?

前回、不況と開発援助について書いたが、先月東京の行きつけのバーで常連の客と話したことを思い出した。

その人は、東京の青山の美術商(骨董品屋)を経営する方で、7-8年前からこのバーでよく立ち話をする人。少なくとも50代半ばだろうが、ポルシェに乗ってブイブイ言わせている、非常に若い方だ。

国連の仕事の話などをしている時に、彼は近年「意義のある」ことをしたいと言い、彼自身で考えている1000万円ほどの寄付で何が出来るかを聞いてくれた。学校建設などの支援が出来ればと言っておられた。近年のNon-Profitブームもあるが、この不況の中でも余裕がある人は余裕があるのだなと思った次第。

2008年12月14日日曜日

金融危機の開発援助に対する影響

世界恐慌以来の不況と言われている今、景気の良い話はなかなかない。どこの会社が何千人の人きりをするとか、事業から撤退するとか、工場を閉鎖するとか、そういった類の話ばかりが耳につく。しかし、この世界的不景気の中、開発援助の世界では目に見える変化は起きていないように思われる。不況のために首を切られたとかプロジェクトを閉鎖したとか言う話はまだ聞かない。

これは、開発援助に関わるお金の大部分は税金であるODAを通じて流れるが、(任意拠出金で動いているUNDPなどの機関では)1年毎のドナーの予算策定サイクルで来まるのため、今のところは、まだ去年に受け取った資金で切り盛りしているからだ。しかし来年、再来年のODA予算は各国で減少するだろうということは容易に予想できる。ある記事では、30%もの減額が予想されている。 

もし30%の減少ということになると、まずは、プロジェクトに対する収入が減ると思われるので、新しいプロジェクトが出てきにくくなるだろう。追加の資金が見込まれていた、すでに始まっているプロジェクトも縮小せざるを得ないかもしれない。 また、コアファンドも減少すると思われるため、(国家公務員規定で守られている)コアスタッフの雇用に影響を及ぼすということもあり得るかもしれない。さらに経営の効率化へのプレッシャーが増加するだろう。


とはいえ食糧価格の上昇などで、貧困層が1億人増加したと言われているこういう時こそ国連機関が役割を果たすべき時。少ない予算で最大のインパクトを出せる仕組みをさらに作って行かなければいけない。

2008年12月11日木曜日

命の尊さ

先月ドライバーのヘンリーの息子が亡くなった。腸チフスとマラリアの両方にかかり、病院に行ったが助からなかった。別の同僚の息子も病気でかなり危険な状態まで行ったと聞いた。

また、非常に親しくしている大統領府の役人が、先週末車で大事故を起こし、重症を負った。一緒に車に乗っていた彼の奥さんと運転手が亡くなった。その前の週は、プロジェクトのスタッフが自動車事故で重傷を負った。

オフィスで普段働いても、よく、彼の父親が亡くなったとか、いとこが亡くなったとかいう話をよく聞く。どう考えてもこの死亡の知らせは日本と比べれば考えられないほど頻繁だ。平均寿命が42歳に満たない国にいるということをますます肌で感じる。

2008年12月6日土曜日

バンコク騒動での個人的被害

今週木曜日の空港閉鎖終了で、やっと金曜日にバンコクを脱出することが出来た。ブリティッシュ・エア便で東京を経由して、今はロンドンにいる。明日の接続フライトまで時間が空いているので、ロンドン、ヒースロー空港に隣接しているホテルに一泊することにした。 

バンコクでの騒動のため、もとも予約していた1週間前のBMIのロンドン・フリータウンの直行便に乗れなくなったのだが、12月は多くの欧米に住むシエラレオネ人が一斉に帰省するクリスマスシーズンということもあり、チケットの変更が12月19日までできないと言われた。さすがにそれまで待てないので、新たにカサブランカ経由のチケットを片道で買う羽目になった。旅行保険には入っていなかったため(旅行保険に入っている人ってどれほどいるのだろうか?こういったForce majeureをカバーする保険はどれほどあるのだろうか?)、自腹で追加費用を払うこととなった。 また、バンコクを出発する当日にも、成田からロンドンのフライトが急にキャンセルされ、乗れるはずだったもう少し便利なロンドン発の便にも乗れなくなった。

とはいえ、バンコクから出られなかった場合を想定して、バスで10時間かけてカンボジアまで行ってそこから飛行機に乗るというオプションも考えていたので、時間的にもコスト的にもそのシナリオをまぬがれることが出来、不幸中の幸いということなのかもしれない。

2008年12月4日木曜日

アウトライアーズ(Outliers):例外的な成功者達

Tipping PointBlink!がベストセラーとなったマルコム・グラッドウェルの最新刊、Outliers: The Story of Successes を読んだ。この本の議論は、個人のIQや努力などといった成功の秘訣と言われるものは、実際は本当の成功の原因に一部でしかなく、家庭状況、育った時代や運といった要素が大きく影響を及ぼしているというもの。

例えばカナダのホッケーチームやチェコのサッカーチームの代表選手のほとんどは1月から3月生まれで、これらの月に生まれた人達はいつも同じ学年のなかでは最年長で(同じ年の1月生まれから12月生まれの生徒が同じ学年に入学する)、知能的にも肉体的にも他の生徒よりも勝っており、この少しのアドバンテージがこのグループの自信を増長させ、さらに技術が上達していくという。逆にいえばある年の後半に生まれると、それだけ不利な競争を強いられることになり、結局トッププレーヤーは生まれていない。

さらに、ビル・ゲイツなどの生まれ育った環境や、早期の最新のコンピュータへの容易なアクセスを説明し、能力だけが今のビル・ゲイツを作り上げたのではないとも言う。その他にも、今世紀の最も資産の大きいひと100人を分析し、1930年代に生まれた人が最も多く、その理由が、世界恐慌後の経済回復と、人口の少なさ(よって比較的競争率が低い)、第二次大戦の時期などを挙げている。

議論としては面白く、取り扱っている事例によってはよくリサーチが出来ている。開発援助に携わっている者の視点から言えば、決定論的要素がかなり大きく、たとえば今のシエラレオネでは、どれほどの「成功者」を生み出す土壌があるのか考えされられる。彼の論理が正しければ、例えば成功を生み出す条件の揃っている国、分野、地域に開発援助投資を集中させるということも考えられるかもしれない。

とはいえ、本の後半になるほど、色々な成功例を強引に彼の議論で説明しようとしている感が否めない。結論として、前作ほどの読み応え感はないというところか。

2008年12月2日火曜日

帰れない!

まだ続く反政府グループの空港占拠で、先週金曜日に乗るはずだったANAのフライトがキャンセルになった。今週金曜日のフライトにリスケされたが、現在の状況ではこれが飛ぶかも分からない。臨時便は毎日出ているが、直前になるまで飛ぶか確定しないし、席も10分ほどですべて完売になる。さらにバンコクを出ても、ロンドンからフリータウンの便がクリスマスシーズンのため12月19日までエコノミーは満席だという。金曜のバンコク発便に乗れた場合に、ロンドンからのビジネスクラスで席が1つだけ残っているようなので一応押さえてもらったが、ちょっと高過ぎる(片道50万円!)。

よって今日から、今のルート以外を探し始めたがこれもかなりきつい。ここからシンガポール、マレーシア、ジャカルタ、フィリピンなどの東南アジアのハブに行く便は軒並み満席。ウクライナのキエフ経由(その後、ドゥバイ、ナイロビを通ってフリータウン)の飛行機がもしかしてとれるかも知れないと言われたが、この便もまだ確定していないそうだ。

さらに今日からは、バスでカンボジアに行き(10時間!)、そこから飛行機に乗るというオプションも考慮し始めたが、来週の前半まで予約でいっぱいだそうだ。フリータウンに戻れるのはいつになることやら。

現在までに約30万人の旅行者がバンコクで足止めを余儀なくされている。

2008年11月30日日曜日

大学時代の友人と会う

日本での休暇中、大学時代の友人数人と会った。日本の製造業T社で働くM、日本の製造業S社からある省庁に派遣されているM、IT大手Y社で法務に携わるG、省庁をヤメて外資系コンサルで働くY、郵政公社で働くF。Yはコンサルタントらしく、仕事を終えた後夜中の12時過ぎに合流してくれた。みないろいろな分野で日々頑張っているようで元気づけられる。

2008年11月29日土曜日

まだバンコク

予定では今日はもうロンドンでフリータウン行の飛行機の乗り換えというところだったが、まだ続いている反政府デモのバンコクの国際空港占拠により、飛行機がキャンセルされた。まあバンコクという非常に過ごしやすい国で立ち往生ということは、不幸中の幸いということか。今だこのデッドロックが解消していないが、政府はほかの空港を使って飛行機を飛ばし始めた。キャンセルされた私の便も、空港会社の見通しでは12月5日金曜日にリ・スケジュールされる予定だ。

とはいえ、仕事も結構たまっているので、来週の月曜日からバンコクのUNDP地域事務所のオフィスを借りてバーチャルに仕事にフルタイムで戻ることにした。多くのスタッフが常に出張に出ているため空いている席が多く、以前一緒に働いたことのある公共部門改革アドバイザーのオフィスを使わせてもらうことになっている。

ちなみに、ここバンコクでの生活はかなり快適。映画館なども、デラックスとかVIPとかいった別のサービスを選ぶと、飛行機のファーストクラスのような席で映画が見れる。日本のレストランも山ほどあるし、どんな国の料理でも大概食べることができる。100円以下でお腹いっぱいになる「屋台」のごはんもかなりレベルが高い。車の渋滞が玉に傷だが、最近できて、拡張予定のあるモノレール(?)がかなり渋滞問題を解消した模様だ。

早くこの事態が解消することを望む。

2008年11月26日水曜日

バンコクで足止めか?

今週はタイのバンコクに来ているが、現政権の交代を求める反政府グループがデモを起こして、空港を乗っ取った。えらい時に来てしまったと思うが、まあバンコク市内での様子は結構平穏。この騒ぎで、飛行機が運航を取りやめており、私も金曜日の飛行機でシエラレオネまで帰る予定だが、どうも飛行機が飛ばない可能性が大きくなってきた。まあどうにかなるだろうが、、、。

2008年11月23日日曜日

現代アメリカでのケインズ的政策

アメリカを中心とした全世界的不況に対して、オバマ次期大統領が国内の経済活性化計画を発表。2百50万人の雇用創出を狙っている。選挙中にはこの案に対しての175ビリオンドルの投資を公約したが、経済の不況で500-700ビリオンドルの投資になるかも知れないと言われているようだ。税金率の引き下げや、太陽パネル、エコカーやエナジー技術への投資と同時に、道路や橋、学校を建設・補強する事業で失業者を雇うとする。

自由経済主義とケインズ主義の議論はさておいても、この公共事業でひとをとりあえず雇おうという政策はよく途上国でも使われる。シエラレオネでも、紛争終結から6年以上たったが、未だに失業率が65%とも言われている国。その中でも、若者と定義されている15-35歳までの人口のうちの半分が仕事についていない。そして、この若者層の不満がたまると「時限爆弾」が破裂するとも言われており、公共事業と組み合わせた雇用創出が計画されている。さらに、津波の後の復興過程でも、同様のアプローチがとられ、がれきを除去すれば1日いくらあげますという事業が、短期的雇用を創出する大きな役割を担った。アフガンや東ティモールなどでも類似のプロジェクトがあった。

もちろん長期的な投資環境を整えることは重要だろうが、今なにができるかというと、こういった政策になってしまうのかもしれない。

2008年11月17日月曜日

「岩倉使節団」は今の途上国でも有効か?

開発援助に従事して以来、何かと日本の明治維新以来の発展を開発援助の文脈で考えることが多くなった。すでに当時でもかなりのレベルの経済的、政治的、社会的な発展を遂げていた日本と現在の途上国をそのまま比較はできないが、それでもいったいどうやってこれほどの成長を遂げたのかはより理解するに値するだろう。

以前、岩倉使節団についての本を読んで、団員の綿密な分析や、カルチャーショックの描写を興味深く読んだが、もう一度追体験をしたくなって、田中彰氏著の「明治維新と西洋文明:岩倉使節団は何を見たか」という本を買って読んでみた。(以前買った本がどこにいったか分からないのもある)

団員46人に加えて、留学生などの付随者を入れると100人を超える大規模な「勉強の旅」で、約2年間でアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、ロシア、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、イタリア、オーストリア、スイスという国々を周る。道路、鉄道、上下水道、郵便システム、港などのインフラ状況から、民主主義制度、ジャーナリズム、貿易、病院、博物館、公園、森林保護など、多岐にわたる分野を手分けして観察する。たとえば鉄道に関しては、国営がいいのか、民営がいいのか、それとも国営から民営に移行するのがいいのか、など非常に具体的な観点から観察しているのが見受けられる。さらに新聞の流通などについても、種類、流通数を正確に数字で把握している。かなりの下準備をしたと見られ、どの国でどの工場を見学するかなど緻密なプランがあったようだ。当時の状況から考えても、このような大規模な使節の派遣には大きな費用がかかったと思われるが、団員の分析の深さと、使節団の参加者がそのご様々な分野での要職を占めていることを考えると非常に良い投資だったと思われる。

さて、このような「スタディー・ツアー」は現在も開発援助でよく使われる手法だが、これほどの規模の使節団を例えばシエラレオネ政府高官を対象にするのはかなり難しいだろう。また、援助側も、受け入れ側も岩倉使節団のような国の発展を思い真摯に学ぶ切迫感・真剣さがなければ意味がないだろう。

2008年11月16日日曜日

アンガーマネジメント

今日本に休暇で帰っているが、たまたま本屋でアンガーマネジメント(怒りの抑制)という本が目に留まり、読んでみた。

この本の内容は非常に浅くがっかりしたが、感情のコントロールという問題には関心がある。私自身は、逆にあまり感情の起伏を見せなさすぎと言われることもあるが、様々な文化・生活バック・グラウンドを持つ人が働く国連では、感情の表現の仕方も千差万別。

以前 Total cost of Jerksという論文についても書いたが、やはり感情を上手く統制することは、組織を円滑に運営していく上でもなの重要だろう。

2008年11月15日土曜日

オバマの大統領選勝利がシエラレオネでどう受け止められているか

スーパーチューズデーの当日、シエラレオネ政府の知り合いや、同僚のアフリカ人たちは、どうもそわそわしていた。話を聞いてみるとオバマの勝利を相当意識して、ブラックアフリカンとして非常に興味を持っている。ケニアでのフィーバーはわかるが、ここまで浸透しているとは思わなかった。ある大臣も朝からテレビをつけっぱなしで仕事になっていなかったと聞いた。オフィスのカメルーン人上司も、今晩は徹夜で選挙を追うというほど。ブラックアフリカンというグループの結束の強さを再確認。

もし、たとえばフィリピン系のアメリカ人が大統領に選ばれるという時、同じアジア人として日本人はどれほど関心をもつのだろうかと考えてしまうが。

2008年11月11日火曜日

下流支援の時代か

私の提言プロジェクトのコミュニティー開発シリーズに関して、国連フォーラムに投稿した文を少し編集して掲載:

UNDP などの国連機関は、開発戦略枠組みがなければ援助が様々方向に向き、結局全体として、援助の効率性が低下するというロジックで、開発の「上流」、アップストリームと呼ばれる開発戦略や政策策定によく関わる。同様に、政府の能力向上、経営改善、などのガバナンスの分野で、国家が果たすべき役割を果たすことができるように支援をする。公務員の数を減らすとか、省庁間の機能的分業体制を強化するとか、汚職をなくすとかそういった類の話。

こういった「上流」の支援は、「上流」であるが故に、最終的受益者である貧困層の人々との接点が少なくなりがちだ。ロジックとしてはよく理解できても、実際にこういった上流の分野における改善が、MDGの指標に表れるような実際の社会変化に反映されるには、中央政府、地方政府のキャパシティーや財源などさまざまな要素が関係するため、MDGの指標などにすぐに反映されることはない。

一方コミュニティー開発系の「下流」、ダウンストリーム支援は、草の根レベルで最終的な受益者を直接に対象とするため、支援のもたらす結果が見えやくなる。田中氏の提言でも出てくる小規模グラントや、大久保氏の提言で出てくる耐震技術を使って再建された学校は、まさに直接人々の生活に影響を与えるもの。「ミレニアム村」などの試みも、やはり、最終受益者への結果を最適化するための試みで、近年の「上流」支援傾向をカウンターバランスするような意味もあるのではないかと解釈している。

もちろん開発援助は、上流、下流の両方が必要なわけだが、例えば同じ1億円を使うとしても、きれいにまとまった開発計画書を書きあげるのと、ある10の村で実際に飲み水を供給するのでは、どちらが援助として効果的なのかを考えてされられてしまうのも確か。

開発援助における下流支援をもっと強化すべきなのか。

2008年11月2日日曜日

シエラレオネの日本人さらに増加

昨晩、新しくユニセフのJPOとして赴任したSさんを歓迎する会がCareで働くSさんの家で催された。ここ1カ月で、さらに3人が増えたことになる。あとの二人は、以前も言及した寺子屋事業の1人(UNDP)とトニーブレアオフィスから大統領府に派遣された元コンサル・UNDPのTさん。

彼らの世界のいろいろな国で共通の知人がいたりと、この世界の狭さを再確認。

何人かはその後別のパーティーに行くと言っていたが、私は次の日の朝出勤しなければいけなかったので断念。

2008年10月30日木曜日

アジア料理

今日は早めに仕事を切り上げ、本部から来ている人と、新しく日本の「寺子屋プロジェクト」でシエラレオネに来たKさんとベトナム・中華料理レストランの「Indochine」で晩御飯を食べた。やはりアジア料理はしっくりとくる。少し食べ過ぎたので、胃薬を飲んで寝よう。

2008年10月25日土曜日

しばらく

ここ最近、内部の変革仕事に追われている。週末もずっと働いているため、ブログを書く時間があまりない。しかしこれも後1週間くらいで一段落する。もう少し頑張ろう、、、。

2008年10月19日日曜日

大漁

昨日午前11時頃海岸沿いをドライブしていた時、漁師たちが網を揚げているが目に留まった。

当然最も新鮮な魚が手に入るということで、これは是非と思い、魚を挙げるのを待っていた。最近食べていない、ロブスターやサバが、鯛などに混じって網にかかっていた。



色々迷った挙句、サバを2匹(一匹300円)、ロブスター(500円)、鯛(300円)、イカ(300円)購入。

(網にかかった魚↓)

(ロブスター↓)



ロブスター、鯛、サバを刺身で。そして、鯛、サバとしめサバの寿司を食べた。海沿いならではの生活。

2008年10月11日土曜日

関係の重要さ

先月、非常に重要なポストを占めていたシエラレオネ政府の人が辞任した。この話の裏にはいろいろと政治的な話があるらしいが、新政府誕生以来、この人と我々の機関は、非常に密な関係を築いてきており、信頼が徐々に形成されてきたところだったので、皆とても驚き、この人事の影響を心配した。

しばらくして後任が発表されたが、これも何かと一緒に仕事を進めて来た人。彼の元で進めていた話が、さらに高いレベルでフォローアップ出来るので結果的には問題もなさそうだ。そして、今はそれ以外のプロジェクトについてのブリーフィングを進めているところだ。

どんな仕事でもそうだろうが、開発界での人間関係、特に受け入れ政府との関係構築は非常に重要だ。これがあるかないかでプロジェクトの進捗状況が左右されるし、少し無理を聞いてもらう時にも鍵になる。さらに重要な政府内の情報を電話で教えてくれたりもする。また、重要なポストを占める人自身だけではなく、その周りで実務を支える人との関係構築も重要。以前の事務所で、私の部署のアシスタントが、政府企画省のダイレクターのアシスタントと非常に関係がよく、多くのことがスムーズに流れたのをよく覚えている。
私もさらに信頼関係を築いていきたい。

2008年10月9日木曜日

援助の効率性の議論について

アクラの援助の効率性に関するハイレベル・フォーラムが最近ガーナで開催され、援助の効率性に関する議論もまだ冷め止まない。援助の効率性という課題は、シエラレオネでも非常に重要な位置を占め、ドナーが集まるところでは必ずと言って議論で言及される。

最近思うのは、この議論は、やはり援助側が作りだした問題を解決しようとしているのではないかということ。私は生まれていなかったのであまり確信をもっては言えないが、例えば、戦後の日本の復興が、今のシエラレオネのように、何十ものドナーからサポートされ、それもバイやマルチや、PRSPやジェンダーや人権や紛争予防や様々な「条件」を付けられていたとすれば、あの様なスムーズな高度経済成長を迎えることが出来たのだろうか。

この国で様々な会議に参加して、シエラレオネ政府側からの開発政策指揮の難しさがだんだんと理解できるようになってきた気がする。シエラレオネ政府側が改善できることが多いのは確かだが、ドナー側が反省することも非常に多いはずだ。

2008年10月8日水曜日

友人の話

同僚の友人が、ここ最近悩んでいる。

彼は今NYの本部に勤務しているが、彼の妻が最近ジュネーブに勤務することが決まった。彼女はどうもNYがあまり好きでないらしく、ヨーロッパで仕事を探していた模様。しかしいったん彼女の職が決まると、別居するというオプションが受け入れにくくなった模様。

以前は彼の職場がNYということもあり、彼女が医者という職を休職してNYに一緒に引っ越しをして来た。しかし今回は、彼の方が、彼女に合わせるべきだというのがお互いの意見のよう。

だがジュネーブで職を探すといってもそれほど簡単にはいかない。幸い国連機関の本部が多くあるので国連関係の仕事を見つける可能性は低くないが、彼はそれほど楽観的でもなく、国連以外の職探しも考えていると言う。国際的カップルがプライベートと仕事を両立させるのは簡単ではない。

2008年10月4日土曜日

国連における「手紙」

国連で仕事をする上で、結構手こずるのが「手紙」。いくらEメールが発達したとはいえ、公式にコミュニケーションをする場合には、手紙が使われる。最終プロジェクト文書の調印を促す時、本部からのえらいさんが出張でやってくると政府に伝える時、ドナーにレポートを送る時、政府からの支援要請の手紙に返信する時、内部での重要な決定事項をスタッフに伝える時などなど。

最初に「国連の」手紙を書かされたのは、もう5年以上前にもなるが、最初は上司の「赤ペン」が入りまくり、何度も何度も書き直された。以前働いた会社では要件を簡潔に伝えることを訓練されていたため、手紙の内容を「ふくらませる」ことにはかなり手こずった。同僚に見てもらっても、もっとFlower upしろと言われ、途方に暮れたのを覚えている。
さらに、上司によって少しずつスタイルが違う。感覚では、よりシニアで国連経験が長い人は非常に細部にまで気をつかう。2年ほどで大分手紙に慣れてきたところで、新しく働くことになったスウェーデン人の駐在調整官に手紙のドラフトを見せたところ、真っ赤になって帰ってきた。彼は手紙には特に厳しく、何度も書き直された。私がこのオフィスを去る直前に、ある非常に長い手紙を書いてくれと彼に言われ、気合を入れて書いた手紙が、一語も修正されずにサインされた時は、自然にガッツポーズがでた。
最近はさすがに手紙に慣れて、同僚の手紙を修正したりする役割が多くなった。ところが、ここ最近シエラレオネにやってきたベテランの臨時駐在代表に、私が書いた手紙がとことん修正されている。いつになったら修正なしの手紙が書けるようになるだろうか。

2008年10月1日水曜日

お隣さん

昨日はお隣さんのイタリア人夫婦(アレサンドロとニコレッタ)とその赤ちゃん2人(ミカエルとルカ)がディナーにやってきた。彼らはイタリアのカソリック系NGOで働いており、フリータウンで学校建設をしている。ルカは生後4か月だが、もう10キロとばかでかい。2歳になるミカエルと同じくらいのサイズ。この国でこの二人を育てるのは相当大変だろう。

2008年9月28日日曜日

昼寝

今週は結構忙しかったので、疲れが溜まっている。今日朝起きてもまだ疲れが残っているので、1時間半ほど昼寝をしてみた。

昼寝とは何といいものか。出来れば毎日でもしたい。

2008年9月21日日曜日

日々の小さな困難

先週本部のアフリカ局から一人フリータウンに出張にくるので、スタッフに空港でのピックアップと、フリータウンまでの国連ヘリコプターの予約、そして、車の用意とホテルの予約を頼んだ。以前の出張で、手配がうまくいかなかったので、今回は担当のスタッフに何度も何度も電話をし、確認をとった。

飛行機が到着する時間あたりに、別の同僚が電話をかけてきて、「彼女のホテルの予約がキャンセルされたと聞いた」という。おかしいなと思い、担当のスタッフに電話をかけて念を押すと、「大丈夫だ。今もホテルに電話をして再確認した」という。さらにドライバーを直接ホテルまで行かせてフロントで確認をしたというので、大丈夫だろうと考えた。

さて、本部の同僚が空港に着き、国連ヘリコプターまで行くと、彼女の名前がリストに無いという。すぐに担当者にまた電話すると、そんなはずはない、UNIOSILの担当官が昨日確認をしてくれたという。その場で色々話したが、結局、国連ヘリには乗れず、別の手段でフリータウンまでやってきた。そして、ドライバーがピックアップして、予約したホテルまで行くと、予約が入っていない!この時点で、この同僚がキレて電話をかけてきた。平謝りし、担当者にその晩10度目の電話をかけたが、彼女はもうピックアップしない。SMSを入れても返事がない。次の日にオフィスまで呼んで、一つ一つのステップを復習し、どこに落ち度があったか検証をした。この後も同じ同僚のロジ関係で、色々と出来事が起こるのだが、どうもこの国に来てから、こういったトラブル対応で費やす時間が恐ろしく長い。

しかし、これも現実。こういった中で、忍耐強くいかに効率的に仕事をこなすかが鍵になるのだろう。

2008年9月20日土曜日

日本名をもつシエラレオネ人(その2)

以前も書いたが、いつも来てくれているお手伝いさん「ラマトゥ」の赤ちゃんには、私と同じ名前がつけられた。先日、このToshiをつれてきた。もう1歳くらいで、前に見たときよりもだいぶ大きくなっている。

体調が悪いようで、病院に連れて行きたいと言うので、病院代を渡した。もう回復しただろうか。

2008年9月16日火曜日

経験の密度

国連機関で働いていると、よく耳にするのが、「経験」。私は20年の国連経験があるとか、15年のフィールド経験とか、このポジションに応募するには、x年の経験が必要だとか。ここで当然評価されているのが、経験の長さであって、12年の経験は、10年に勝るということが前提とされている。言い換えれば、経験の長さと、組織・開発に対する貢献度ポテンシャルは正比例するということが前提とされている。

これが暗黙の了解事項とされると、当然、年齢の高さというものが人事において大きな判断基準となる。今日も、オフィスでこのような会話があった。ある先進国の首相のアドバイザーチームの中核を担っていた一人が、最近から今この国の高官の支援をコーディネートしているが、この人が結構若い。30代半ば程。30代半ばと言えば、国連の階層では、年齢的に、まだぺーぺーである。この人にどのようなスキルがあろうとも、ぺーぺー扱いを受ける。この「年功序列文化」は、当然途上国政府にも存在し、あの若造に何ができるという態度であしらわれる。

私個人的に年功序列文化には未だあまりなじめいが、「経験」はばかにならないと最近思うようになっている。過去数年間を振り帰っても、色々な困難な状況に直面し、そこから学んだことは多いと思う。また、最近何人かの非常に経験豊富な(お年を召した)人と働く機会があったが、その方々の経験値からくる仕事の仕方に関心をすることもたたあった。
一方、民間では20代で大企業のパートナーとしてフォーチュン500企業をクライアントにしたり、事業を起こして大成功している人々達が存在するのも確か。この違いは経験の「密度」からくるのではないか。同じ1年でも、大きな権限を与えられ、大きなプレッシャーのもとで働く1年と、書類のコピーばかりさせれれる1年は大きな違いがある。若いからと言って権限を与えないと、その人材も伸びず、結局組織としても「損」をするのだろう。若い時から自立をし、事業を興す人などは、その密度の濃い経験から、飛躍的な成長をするのだろう。

2008年9月13日土曜日

「開かれた政府プロジェクト」始動

昨日今日と、以前も書いた「開かれた政府プロジェクト」の一環で、大統領がボンバリ県を訪問し、地元の人々と対話をする最初のアクティビティーが行われた。地元民との直接の対話を促進し、政府の説明責任を強化するこのプロジェクトの最初の活動は、地元の新聞でも取り上げられている様子だ。また、この国で最もカバレッジの広いラジオを使ってこの対話の状況を放送する。さらに、携帯電話メッセージを使った意見交換も組み合わせる。

最近からこのプロジェクトを担当し、大統領府のチームに同行した日本人JPOのS氏によれば、なかなかうまくいったとのこと。大統領自身が、この県で政府の担当する農業プロジェクトを前日の視察したこともあり、今日の地元民との対話は、農業関係の質疑応答が多かったらしい。一方、途上国ではよくある、政府高官による「挨拶」が多すぎ、実際の議論の時間が少なかったことが反省点として挙げられた。

政府の最も大事な役割の一つは、公共サービスを国民に提供すること。国政のトップに立つ大統領自身が、常に国民の直面する現実をしっかりと理解することは、その第一歩につながるはずだ。

2008年9月9日火曜日

人材不足について

仕事が終わって家に帰ってきて、BBCを見ていたら、イギリスの移民法の改正についてのニュースが流れていた。そもそも、ヨーロッパ経済圏の30カ国以外からのイギリスへの移民を減少させる狙いらしいが、その一環でどういった人材がイギリスに不足しているかという以下のリストも出てきた。
  • Consultants and specialist nurses
  • Some engineering jobs, including chemical and civil engineers
  • Quantity surveyors
  • Maths and English teachers
  • Ship and hovercraft officers
  • Veterinary surgeons
  • Sheep shearers
  • Jockeys and horse trainers

見てみれば、まあ、国民の大多数が選ぶ(選べる)ような仕事ではなさそうだ。例えば、一番トップの専門的看護師などは、フィリピンなどの国からの移民に頼っていると言っていた。(しかし、英語の先生がイギリスで不足している場合、どこから引っ張ってくるべきなのだろう?) 

この改定法が施行された場合、これらの仕事に着く人がヨーロッパ内からの移民に限ることで、結果的に労働コストが上昇することが見込まれているという。ヨーロッパとしてのアイデンティティーの保持の方が労働コストを抑えることよりも重要だと考えているということか。

一方シエラレオネでは、以前も書いたように、頭脳流出を止めるため、海外に在住するシエラレオネ人の人材を国に呼び戻す努力が続いている。同じ人材不足という切り口だが、国の直面する状況の違いにより、当然対応も異なってくる。

2008年9月7日日曜日

時は流れている

昨日友人たちが、私の誕生日パーティーなるものを企画してくれた。名前入りの誕生日ケーキまで出てきて、小学校時代の誕生日を思い出す。みなさんありがとう。

またひとつ歳をとった。確実に時は流れている。

2008年9月4日木曜日

国際機関の「顧客」と「株主」

民間企業のビジネスモデルで、大きくいって、2つの重要なグループがあると思う。一つめは顧客。そもそも、会社がもたらす製品・サービスに対して対価を払うグループ。もうひとつが、株主。会社が提供する製品やサービスにたいして投資を行い、ビジネスを可能にさせるグループ。企業はこの二つのグループのInterestを満たすように行動様式が決定されるといっていいだろう。

一方、国連の開発援助はどうか。クライアントに当たるのは、受け入れ政府、しいては受け入れ国の国民。そして、大株主に当たるのは、先進国政府(そして、ガバニング・ボードの国々)。彼らの政府開発援助の資金によって、クライアントに対するサービスが提供される。二つのビジネスモデルで大きく異なることは、国連のビジネスモデルの場合、クライアントがサービスに対する対価を払わない(払えない)ということ。この一つの違いで、民間と、国連のビジネスモデルのダイナミクスが大きく変わってくると思う。

国連モデルでクライアントがサービスに対価を払わないということは、いくらクライアントの利益を第一に考えると建前があっても、資金繰りの問題がいつも脳裏に残り、お金を潤滑に得るためには、時として資金源としての先進国の利益や考えを大きな要素として扱わなければいけない。同じ理由で、ドナーからの資金を運用する立場にある国連機関は、クライアントである受け入れ政府・国民に対し、金銭的に有利な立場に立つという政治力学が生まれる。

国連として、多くの内部改革が行われ、それなりの成功を収めているが、この根本的なビジネスモデルを理解しなければ、なぜ国連という機関が、今のように動いているのかを理解することが難しいのかも知れない。民間のモデルを国連に適用するといことは、大いに可能で、実際に多くの成功性があるが、この基本的は差異を理解することにより、民間モデルの可能性と限界が分かるのかも知れない。

2008年9月2日火曜日

この時期に車を運転するということ

今は雨季の真っただ中。今日、帰路を車で走っていたが、非常に危険を感じる。

まず、雨が降っているので、ただでさえ前が見えにくい。さらに、街灯がないので、道が見えない。歩道もないので、歩行者が道路を歩いているが、これも見えない。よって皆もちろんハイビーム。このため、さらに道が見えにくい。そして、車のACがないので(中古で買った時にはACが付いておらず、取り付けに約10万円かかると言われ断念)、窓ガラスが曇る。雨が降っているので、窓も開けられず、さらに曇る。

同時に、道で走っているタクシーはサインも出さず急に停止するし、道路は穴だらけなので穴を避けようと、両方向の車が予想できないところでアクロバティックな動きをする。私の住む家は丘の上にあり、上に行けばいくほど霧が濃くなる。

少なくともシートベルトはしっかりして、ゆっくりと運転するように気をつけている。

2008年8月31日日曜日

フリータウンの見どころとは

ロンドン時代からの友人で、現在中国の上海で仕事をするTが今月の末にフリータウンに休暇で遊びに来るかも知れないと連絡があった。しばらく会っていないので(最後に会ったのがいつだったか思い出せない)、非常に楽しみだが、フリータウンの見どころが何かと聞かれ少し困った。

今まで友人が外から遊びに来て連れて行ったところは、市内の中心から車で50分ほどにあるビーチとイタリアレストラン。あとはチンパンジー園(←)。家から車で30分くらいのところ。それ以外は、家や近くのレストランでごはんを一緒に食べるくらい。
しかし、よく考えてみれば、特に用意された見どころは必要ないのかもしれない。アフリカが初めての人にとっては、普通の町並みや人、市場や地元の料理などを見ることだけで目新しいのかもしれない。私自身も初めて訪れる国では、そういったものを見ているだけで面白い。

2008年8月30日土曜日

Chasing the Flame - 戦火を追いかけて

サマンサ・パワー氏の近著、Chasing the Flameを読んだ。レバノン、ボスニア、コソヴォ、カンボジア、東ティモールなどの最前線の国で国連職員として30年以上働き、2003年8月19日に、イラクの国連オフィスで、自爆弾によって死亡した、セルジオ・デメロ氏の政治的伝記だ。脚注を含め600ページにもなる大著。莫大な量の資料と、多くのインタビューによる緻密なリサーチを元にし、非常に臨場感がある。前国連事務総長、コフィ・アナンの伝記、The Best Intentionsと比べても各段によく書けているだろう。ケニアからフリータウンに戻る飛行機内で、ほぼノンストップに9時間読み続けた。

デメロ氏の人間的なチャームと外交スキルについては、国連内での評判は噂程度には聞いたことがあった。特に、私が東ティモールで仕事を始めたのは彼が去った直後の2002年8月だったが、すでに多くの同僚が彼を懐かしがっていたのを覚えている。本の中で出てくるあるアメリカ人外交官によると、デメロ氏は「国連だけではなく、国際外交界の中で最も優れた人材」で、「国連がどのように存在でき、どうあるべきかを体現している人物」だったという。 (P402)

体に「国連色の青い血」が流れると言われるほどの国連の「信者」で、いつも国連憲章を持ち歩いた。常にフィールドを活動の拠点とし、国連の後輩たちには「常にフィールドで仕事をしろ。それしかない。私はそうして働いてきた。現場にいることに意味がある。それ以外は全く重要でない」とアドバイスをする。(P222) 「人権を侵害」したクメール・ルージュや、セルビア政府の高官と近づきすぎと言われながらも、彼らを巻き込まなければ平和は達成されないと信じ、積極的に交渉を持ちかける。

なぜ私自身、この世界に入り込んだのかを再確認させてもらった。是非日本語訳が出て、日本の多くの人に読まれるとを願う。

2008年8月28日木曜日

ケニアのサファリでかんがえた

一週間のサファリ旅行を終えて今日シエラレオネに帰ってきた。これほどの動物(しかも野生の)を見たのは今までで初めて。そもそも、ライオンなどを見たのも、小学校時代に行った動物園以来か。

 

シエラレオネと比べるのもどうかと思うが、最近の政治状況を差し引いても、ケニアはかなり進んでいると感じた。15年くらいたっても、シエラレオネがこれほどの状態にまで持っていくのは難しいのではないか。道路などはかなり整備されているし、スーパーマーケットの品揃えも多いし、そこに来ていた客だけで判断しても、車を所有するミドルクラスの数がかなり多そう。旅行を手配してくれた業者のスタッフの対応、泊まったホテルでのスタッフの対応など、シエラレオネでは考えられないレベル。

 

さて、サファリだが、大自然を満喫した一方、少し罪悪感を感じることとなった。マサイ族の村と称する場所で運転手が車を止め、25ドル払って、マサイ族のダンスや生活ぶりを鑑賞するというアクティビティーがあったが、彼らの「やらされている感」を強く感じた。オーストラリアのアボリジニ地域を訪ねた時とよく似た感覚。また、マサイマラ国立公園では、公共の電気が通っていないらしく、よってホテルでは発電機をじゃんじゃん稼働させる。以前、個人レベルでのCO2排出量について書いたことがあるが、このサファリ観光産業関係で、どれだけのCO2 このをきれいな大自然に排出しているかと思うと少しぞっとする。また、サファリ観光の一貫でバルーンに乗って(朝4時半起き、、)サファリ内を1時間飛行したが、これも当然かなりのガスを使ってバルーンを飛ばしている。



次に行ったナクル湖国立公園で、フラミンゴを見ることとなる。ピンクのフラミンゴが無数に並ぶ風景は、この上なく美しく、非常に感動していたが、どうも湖の水位が低そうなので、ガイドに聞いてみると、ここ最近、水がかなり減ってきて、湖のサイズが小さくなってきていると言う。不勉強なので、原因が何かは分からないが、アル・ゴアの「不都合な真実」を思い出させる。



とはいえ、罪悪感に苛まれただけの休暇ではもちろんない。生物の多様性、食物連鎖、生物の進化、そして人間の環境に与える影響などを素直に考えるいい機会であり、シエラレオネでは食べられないものも食べたし(Sarova Stanleyホテルのタイレストランはお勧め)、よく睡眠もとれたし、ずっと読みたかった本も読めた。

さて、たまったE-mailの処理を始めよう、、、。

2008年8月21日木曜日

サファリ デビュー

後1時間で、シエラレオネを後にし、一週間ケニアのマサイマラ・サファリに行ってくる。アフリカで1年半過ごした中、まだ一度もサファリを経験したことがないので非常に楽しみ。荒野のど真ん中を動き回るサファリと言っても、お金を払えばかなりラクジュアリーなサファリ生活ができるらしい。インドネシア時代の友人はバリなみの快適さを味わえると言っている。楽しみ楽しみ。

2008年8月18日月曜日

オリンピックでのパフォーマンスと開発の度合い

今日仕事から帰って、なんとなくオリンピック中継を見ていて、ふと思った。オリンピックのパフォーマンスと、国の開発度合いに相関性はあるのか?

8月18日現在のメダル獲得数では、トップ10のうち、6国(米、英、豪、独、伊、日)がOECDのメンバー。さらに2国(露、韓)はOECDのオブザーバーとして、先進国の仲間入りをするまであと少し。ウクライナと中国が例外とはいえ、両国ともすさまじい経済発展を遂げている。北京以前2回のオリンピックのメダル獲得数を見てみたが、上位10国はほとんど同じ。10位以下を見ても、スペイン、フランス、オランダ、カナダなどの先進国が並ぶなか、ポーランド、チェコなどの新興国が入っている。そして、ケニア、ジャマイカという「途上国」もここでやっと登場する(途上国とは言え、最貧国ではない)。過去の記録では、ここの枠に、キューバ、ブラジル、べラルースなどの国がが入っていた。ざっと見てみただけでもやはり国の発展状況とオリンピックのパフォーマンスに何らかの関係がありそうだ(ちなみに、シエラレオネチームはまだメダルを取っていない)。

基本的ヒューマン・ニーズの理論から言っても、スポーツは、衣食住のあとのあとにくるだろうから、これらのニーズを満たす前に、国家としてスポーツに投資すると言うのは難しい。アンピュティーのサッカーチームと話していても、ただ練習試合に参加するための、乗合タクシー代が出せないという状況を考えれば、運動選手からしても、技術向上はなかなか難しいのだろう。

2008年8月16日土曜日

Wii大会

今日は、フリータウンに在住する日本人ほぼ全員があつまり、Wii大会が催された。WiiスポーツとWiiフィットの2ソフトで遊んだ。
テニス、ボクシング、野球、ヨガ、ボーリング、ゴルフ、バランスゲーム、など、ほぼすべてのゲームを制覇。場所としてつかったスペースに、大画面のテレビがあったため、臨場感も抜群。皆汗だくになり楽しんだ。ボクシングで疲れて腕が上がらなくなったと言う人もいた。
日本から遠い西アフリカでも、日本のカルチャーは健在。アフガニスタンで働く友人もWiiフィットを購入したということで、そこでで同様の大会が催されるのも遠くない。二つの場所をつなげて対戦などできるのだろうか。
  

2008年8月15日金曜日

国連でどういうスキルが必要とされる(べき)か

今日の午後、2時間ほど、我々の組織のシエラレオネ議会に対する支援について議論をした。ボスであるうちの副所長、アメリカ人アドバイザー、フィリピン人コンサルタントと私の4人。論点の一つが、今見直しに向けて支援をしている、国会議員の給与体系について。

去年の議会選挙で、ほとんどの議員が新しく選出された一年生議員であることは以前書いたが、彼らのもっぱらの関心は、自分たちの給料。もちろん、これほどの貧困レベルの国では、自分たちの給料の水準は死活問題なので、彼らが気になるのはしょうがない。(が、あまりにもストレートすぎる、、)。

では、どうやって、議員の給料を決めればいいかというと、それほど簡単ではない。他の国と単純に比較しても、発展度合いも、国民一人当たりのGDPも、物価水準も異なる国の給料を単に引っ張りだしてきても意味がない。そもそも、シエラレオネの国家予算がどのくらいで、その中で議会にいくら振り分けられるか。また、どういったセクレタリアットの機能が重要で、どれほどの、どういった人材を必要とするのか。そして、物価、国家公務員の給与、他の民間企業などの給与レベルとくらべ、どのようなレベルで設定したいのかをよく議論しなければいけない。

途上国のガバナンスといった課題についてのアドバイスをする我々の機関としては、いくら政治理論を理解しても、こういったスキルがなければ、意味がない。 我々のビジネスモデルをしっかり見直し、本当に必要なスキルを洗い出し、採用基準にもよりダイレクトに反映させるべきではないか。

2008年8月13日水曜日

道がふさがる

シエラレオネにいると、しょっちゅう交通渋滞がある。

もっとも多い原因は、車の故障。普通の道の真ん中で、車が動かなくなるのだ。これが大きなトラックということも多く、道の半分が完全にふさがる。こうなった場合には、さらに双方行の車が狭い道路を通ろうとし、結局完全に道がブロックされる。多くの車の所有者は、車を定期的に修理をするお金もないし、車検制度みたいなものもないので、壊れるまで車を走らせる。

2番目に多い原因は、乗り合いバスやタクシーの停車。彼らは、どのような道路でも、客がいればいきなりストップし、客を拾う。これが町のいたるところで起こっており、交通は停滞する。

先日は、通勤ラッシュ時に、最も込み合う道路で、大きなトラックが停止し、荷物の積み下ろしをしていた。このため両方向に200メートル以上の大渋滞が起こり、みながキレまくっていたが、トラックの所有者は何食わぬ顔をして作業を続けていた。

さてまた別の日には、このように(↑)道沿いの木が強風で倒れ、長い交通渋滞を起こした。これは道路沿いの住人が、木を真っ二つに切断し、比較的早く処理がされたようだ。

明日は何が道路をふさぐのか。

2008年8月12日火曜日

シエラレオネの軍隊と警察

今日仕事からの帰り際に、シエラレオネ軍の兵隊が道路整備をしていたので、ドライバーのヘンリーにそれとなく聞いてみた。今の軍隊は、以前に比べて統率がとれていると思うか?- まあよくこういう質問をよくヘンリーに聞いてみるのだが、やはり、ドナーが書く報告書を読んだり政府高官と意見を交換するとともに、「一般人」の肌感覚を理解するのは非常に重要だと思っている。

ヘンリーが言うには、格段の違いがあると。2002年の終戦以降、IMATT (International Military Advisory and Training Team)と呼ばれるイギリス軍主体からなる組織が、シエラレオネ軍のあらゆる分野でのトレーニングを行っている。コスト的にはかなりかかっているようだが、その甲斐もあってか、軍隊の規律は格段に向上していると言う。以前は兵隊の横柄な態度は目に余ったと言って、過去の出来事を話してくれた。

1993年頃に、ヘンリーは彼の叔父さんに会いに地元に戻った。彼の叔父さんの経営する地元の酒屋で、一人の兵隊が1ガロン(3.785リットル)のパームワインを飲んで泥酔していた。その兵隊は代金を払わずに、店を後にしようとしたが、この兵隊の横暴な態度にヘンリーは激怒して、「お金を払うか、私を殺すかどちらか選べ」と言って、兵隊に真っ向から対抗した。ヘンリーは打たれまいと、兵隊が手にしていた銃を奪い、取っ組み合いのけんかになった。村の住民が騒動を聞き、周りを囲んだ。他の兵隊2人が来てヘンリーを逮捕しようとしたが、住民が一部始終を見ていたのでそれも出来ず、結局この兵隊を車にのせその場を去った。

以前は相当、銃器を所持していることから、国内で「幅を利かせ」好き放題していたが、今のシエラレオネ軍の行動は見違えるものがあるという。

一方、国内の治安を維持する警察はどうかと聞いてみた。ヘンリーが言うには、全く駄目。賄賂を要求することが逆に最近増えているのではと言っていた。特に町中で運転をしているタクシーや乗り合いバスのドライバーは一番被害を被っているらしい。何かと言えばケチをつけて、1000円ほどの賄賂を要求すると言う。1000円と言えば、公務員の月給が1万円に満たないシエラレオネにとっては、計り知れない額となる。また、何か問題を調べてもらいたいときにも、賄賂を腹わなければ何も行動しないと。もちろんこのような現象は、シエラレオネに限らず、どこの途上国(一部の先進国もだろう)でも存在するが。

2つの治安部隊のこの違いはどこに起因するのか。考えてみれば、警察に対しては、IMATTの様な大規模なトレーニング体制が存在しない。同様の大規模なトレーニングに対する投資が必要なのだろうか。

2008年8月10日日曜日

オリンピックに3人参加

北京オリンピックが始まった。私も雨で衛星の電波が不安定な中、テレビに釘付けになって見ている。シエラレオネからは3人が参加している。陸上が2人とボクシングが1人。シエラレオネは、国連の人間開発報告書で、最も人間開発指数が低い国だが、そういった中でも3人を参加させることができたようだ。

少し気になったので、「ホットスポット」とされる、紛争中・紛争後の国のオリンピック参加状況をランダムに調べてみた。
結果は以下の通り:
  • アフガニスタン:4人
  • イラク:4人
  • コンゴ:5人
  • 中央アフリカ共和国:3人
  • ネパール:6人
  • ハイチ:6人
  • 東ティモール:3人
  • ブルンジ:3人

絶対数は少ないが、国の大変な状況にも関わらず、参加者がいる。オリンピックに参加することが自国の開発に直接関係はしないだろうが、国のプライド、自信、モティベーションをあげる効果は計り知れない。

2008年8月9日土曜日

雨季

ここ数日雨が止まない。私の住むヒル・ステーションでは、さらに霧がかかる。日中でも車を運転するためにヘッドライトを点灯させなければ危ない。

この雨と霧のおかげで、部屋の中もじめじめする。ジャケットなどにはカビが生え、洗濯物も乾かない。この対策に買った除湿機も以前の電気サージで壊れたままなので、たまにクーラーをつけて除湿している。また、雨が激しい時は、衛星放送が入らなくなり、インターネットもダウンする。

一方、雨季のいいところは、水がふんだんにあること。家には、水道が通っていないため、乾季にはトラックで水を定期的に運んでもらうが、雨季の間は雨水を集めるだけで十分。飲み水以外はこの雨水でなんとかなる。

雨季が終わるまでまだ数か月ある。

2008年8月8日金曜日

貨幣の量

今日約20万円を銀行からおろした。これほど(←)の束になる。一番大きい貨幣の単位が1万レオン(約300円)だが、5000レオンの貨幣で渡された。鞄に入りきらないほどの量になる。
とはいえ、ジンバブエでは、220万%のインフレ対策(?)として、最近10ビリオンドルの貨幣が発行されたと読んだ。ここまで来ると何が何だか分からない。ジンバブエに比べればシエラレオネの貨幣の量は問題にならないのだろう。

2008年8月6日水曜日

開発援助の裏方仕事

私の属する国際機関の先輩、Nさんがブログを始めた。その名も「開発援助の裏方仕事」。Nさんは、我々の属する組織へのERP導入を指揮した人で、今月末あたりから、管理局でIT関係のダイレクターとしての仕事を始める。個人的にも、何度か一緒に本部関係の仕事をさせていただいたこともあって、今後のブログの内容を楽しみにしている。

「裏方」と本人は言うが、ITの開発援助に対する影響は計り知れない。また、組織内でのITインフラの向上と管理は、ダイレクトに組織のパフォーマンスに影響を及ぼす。

開発援助、平和構築分野などでキャリアを築いていこうとする人たちは往々にして、表舞台での仕事(フィールドでプロジェクトを作ったり、回したりする仕事)のみを考えるだろうが、こういった組織の理念やアイデアを具体的なビジネス・プロセスとして落とし込む、バックボーンがしっかりしていなければ、素晴らしいアイデアも絵にかいた餅になる。「裏方」の、地道で堅実な仕事が開発援助を支えている。

2008年8月4日月曜日

助っ人

今日2人新しく助っ人がやってきた。一人は評価関係の仕事を担当するローカルスタッフ。もう一人は、シンガポール人のインターン。二人とも私の仕事を手伝ってくれることになっている。オフィスが狭いので、オフィス・スペースで少し苦労しているが、、、。

何はともあれ、チームがいるのはいいことだ。2人の助っ人の助けで、よりよい仕事が出来ればと思う。

2008年8月3日日曜日

平和構築の現場を渡り歩く人たち

地方選挙が無事に終わり、選挙支援チームにいた人々たちがどんどんとこの国を去っていく。次の選挙プロジェクトを探す人や、自国に帰って少しゆっくりする人などなど。一人はイラク(アンマンから働くのではなく、バクダッド)に行くと言っていた。「怖くないの?」とありきたりなことを聞いたところ、「怖いけど、仕事がSexyなので断れない」と言っていた。(シエラレオネも、「ブラッド・ダイアモンド」でこの国を知った人にとっては、非常に危険なイメージがあるのかもしれない。)

そもそもそういった場所での国連のオペレーションが大きく、雇用機会もそれだけ多いこともあるだろうが、こういった危険地域を好き好んで動く人も多いと感じる。国連の存在意義が大きいということと、アドレナリン中毒的なもののミックスだろうか。

2008年7月31日木曜日

開発界の正統と異端

今日、著名な投資家、ジョージソロス(彼について知るには、←自伝の「Soros on Soros」がお勧め)の設立した、ソロス財団ナンバー2がオフィスにやってきた。様々なイシューが議題に挙がったが、彼自身も長い投資家としての経歴を持っており、シエラレオネにおける起業家育成や、政府財政、マイクロファイナンスについて話あった。
民間の視点から投資を行ってきた人の、開発に対する視点は一味違う。国の財源がないなら、国のアセットを売り飛ばせ(港は中東に売る)、国有企業も売る、農業分野の起業家を発掘して投資、などなど、オフィス内の議論では出てこないような提案が飛んでくる。
国連などのいわゆる、伝統的開発援助機関(正統)と、アショカKiva、ソロス財団などの、国連とは異なった理念の上に成り立つ機関(異端)が交わる機会が増加している。正統と異端という2つのベクトルが交差するところからイノベーションは生まれる。

2008年7月30日水曜日

手足を切断された人たちのサッカーチーム

今日、手足を切断されたアンピュティーの人たちでつくられるサッカーチームの試合を見た。雨季のため、雨の心配をしたが、運よく快晴。杖を使って、器用にボールを操る。パスもなかなか正確に出る。かなりアグレッシブにボディーコンタクトもある。

日本にはこういうチームはあるのだろうか。










2008年7月29日火曜日

シエラレオネですしを食べる

マンバポイントという家とオフィスの中間あたりにあるホテル兼レストランが、最近寿司レストランをオープンした。同僚の何人かがオープン初日に試したらしく、いい評判を聞いていた。が、彼らとしては、日本人の意見を聞いてみたいとのこと。

オープン1週間少したつが、今晩初デビューしてみた。入ってみると、インテリアもシエラレオネらしからぬ様子で、かなりお金を使っている。メニューを見ると、天ぷらまである。お寿司も、サーモンや、うなぎ、マグロなど、主要寿司ネタがある。カウンターでは、フィリピン人が寿司を握っている(外国人にはアジア人が握っているということで、あまり違いはないのだろうか)。

いくつか、握りで頼んだ。結論から言うと、「シエラレオネにしては悪くない」。以前ケニアで非常にまずい寿司を食べたことがあるが、それよりはかなり上出来。インドネシアで食べれる寿司と比べれば各が落ちるが。

2008年7月26日土曜日

ヨルダンの女王ラニア

今日なんとなくBBCを見ていたら、ヨルダンの女王ラニア妃のYou Tubeを使った最近の取り組みを紹介していた。イスラム圏に対する様々な「偏見」をオンラインで議論させたり、ヨルダンで活躍する女性プロフェッショナルをフィーチャーしたりしている。
感心したのは、彼女自身の真摯な姿勢と柔軟性。You Tubeなどの新しいメディアを使い、タブーともされる論点にもどんどんと切り込んでくる。非常に明晰で強い意志が感じられる。しかも、こういうポジションにいる人によく見られる、「やらされている感」が全くない。企画から実行まですべて彼女自身が指揮しているようだ。久し振りに良いインスピレーションを受けた。

2008年7月25日金曜日

国連内部の経営コンサルティングチーム

私の働く組織に、「経営コンサルティングチーム」というグループが存在する。NY本部の管理局の下に、5-6年前に出来たらしい。経営改革のため、外部の経営コンサルを何度も雇ったが、外部の人たちには、複雑な国連の組織が完全に理解できず、提示された解も内部にあまり納得されなかったことが背景だと聞いた。それなら内部で作ろうということ。どういう人たちが働いているかというと、民間で経営コンサルのような仕事をしていたことがあり、かつ国連での経験もある人。

このチームが一週間、シエラレオネオフィスにやってき、私もシエラレオネ事務所側のカウンターパートとして一緒に仕事をした。私自身、経営コンサルをかじったことがあるため、彼らがどんな仕事をするのか興味をもっていたが、なかなかいい仕事をしてくれた。まず、スピード感がいい。国連の一般的な仕事の仕方と違い、その日の議論がすぐに分析に反映され次の日の議論につながる。長い文書をつらつら書く文化と違い、民間経営コンサルのようにパワーポイントでビジュアルに論点を整理する。仕事時間も長いようで、ほぼ毎日夜中まで仕事をしていた様子。いくつかの具体的なビジネスプロセスの改善も提案された。

近年国連というと、官僚的で無駄が多いというイメージが付きまとっているが、こういう対局にいるようなグループも存在する。元ユニセフで働いていたある同僚は、このグループの仕事を見て関心していた。(話はそれるが、対局というと、緊急援助にかかわる人々もこういうグループにあたるだろう)。こういったチェンジメーカー的な内部グループをさらに強化してもいいと思う。

2008年7月24日木曜日

手足を切断された人々

この国では紛争中に、手足を切断された人(アンピュティー)が多い。

今週は、アンピュティーの人々でつくられる、2つの団体と会う機会があった。まずは、250人ほどからなる、サッカーチーム。シエラレオネ国内の6県でチームが作られ、定期的に試合を行っている。足を失った人は、杖を使いながらボールをドリブルする。会った人は、この団体の統率者で、右手の腕が上腕の半ばあたりから無い。FIFAなどからの支援も受け、国際マッチも経験したことがあるという。

その次に会ったのは、6000人ほどのメンバーを持つ、戦争被害者とアンピュティー団体の統率者。真実和解委員会のレポートにも、彼らへの支援が勧告されている。戦後NGOなどの支援を受け、義手や義足の供給を受けたが、使いたがらない人が多いという。また、石鹸作りや、裁縫など短期間の職業訓練を受けたが、事業を始める資金がないとも聞いた。

この国は、紛争後の復興から平和構築そして、経済成長に向けてギアが変わりつつあるが、まだまだ紛争の残した傷は消えない。

2008年7月20日日曜日

Oさんフェアウェルパーティー

昨日我が家で、JICAのOさんのフェアウェルパーティーが行われた。JICAとの共同ワークショップなど仕事面で、カラオケ大会などプライベート面でも色々お世話になった。

当初は、バルコニーを使う予定だったが、大雨が降りだし、急遽室内で。各自が稲荷寿司やコロッケなどの料理を持参してきた。

数日前に起こった電気サージのおかげで、Wii大会はできなかったが、9時半ごろに、吉林レストランに移動し、(また)カラオケ大会が始まった。我々は12時前に失礼したが、皆は何時まで残っていたのだろうか。

2008年7月19日土曜日

シエラレオネの空港で700キロのコカイン押収

少し前になるが、7月14日、シエラレオネの空港で、700キロのコカインが押収された。南米の麻薬カルテルがコロンビアからシエラレオネ経由で欧米に運ぶ途中だったという。コロンビア人、メキシコ人、アメリカ人などの外国人9人を含む計50人以上が逮捕された。飛行機の発着には当然当局の承認が必要なため、空港関係者の関係も指摘されている。

当日大統領が、国外に出る予定だったらしく、空港が厳重に警備されたいた。このなぜか赤十字の印をつけたこの飛行機のパイロットは、着陸に際して、銃をもった警官がずらっと滑走路周りに並んでいるのを見て、彼らを逮捕しに来たと思ったらしい。あわてたパイロットは着陸すると同時に飛行機を放置して逃げ出した。これを見た警官は、何かおかしいと思い、飛行機を調べると、コカインが見つかったという。

どれほどのお金が動いていたのだろうか、、。

2008年7月16日水曜日

電気サージ

昨日私の住むヒル・ステーション一帯で強烈な電気サージが起こった。発電所の安定装置が壊れたとかで、電圧が一気に上がった。その結果、かなりの電化製品がとんだ。コンピューターのコネクション、オーディオのアンプ、そして、最近買った任天堂Wiiのケーブル(変な煙がでた)までが高圧電気のショックで破損!!

今週末に企画していたJICA友人のお別れ会を兼ねて、Wii大会を企画していたが急遽内容を変更をせざるをえない。

この国にやっと電気が通ったのはいいが、サージは困る。

2008年7月15日火曜日

めぐりめぐる

今日、同じオフィスで国連ボランティア(UNV)として、地方選挙のプロジェクトで働く日本人のAさんからうれしい知らせが来た。外務省の支援する平和構築の人材育成パイロットプロジェクトの第2期生として合格したとのこと。去年も一人、シエラレオネで働いた日本人のUNVが同じプログラムに入っている。

私は大した支援はしていないが、やはり出来るだけ、頑張っている人が次のステップにつながるような助けはしたい。今の自分も、多くの人から色々な形で支援されてあるわけだから。

2008年7月13日日曜日

長いミーティング

今日は大ボスに呼ばれ、オフィスに10時から出向いた。実際は10時半からミーティングが始まったが、休憩無しに5時半まで続いた。計、7時間ミーティングが続いたことになる。オフィス改革は、本部からのミッションなど様々な議題があったが、これほど長いミーティングは今までなかったのではないか、、、。

2008年7月12日土曜日

国際弁護士の活躍

シエラレオネには28ある鉱物のうち23の鉱物があると言われている。一方、これらの鉱物でビジネスを行っている外国企業が利益の大部分をとり、シエラレオネ自体に入ってくる収入はその数%と言われている。

以前「途上国のビシャスサークルをどう断ち切るか」でもふれたプロジェクトの一環で、国際シニア弁護士プロジェクトという組織が活躍している。主にアメリカの法律事務所で働く弁護士が、ボランティアとして、企業との契約をより公平な契約を再交渉する支援を行う。隣国のリベリアでは、すでに大きな成果が出ているようだ。

医者、弁護士、経営コンサルタントなどの「プロフェッショナル」の開発問題に対する貢献は大きい。

2008年7月9日水曜日

シエラレオネのジョーク

昨日、今日とオフィスのリトリート。主なテーマはオフィスの改革だが、チーム・ビルディングにも時間も割いてあった。スタッフがアフリカの伝統的衣装を着るファッションショーに続いて、各自が持っているジョークを披露。

気付いたのは、どこの国のジョークでもそうだろうがこの国の文化、背景を反映しているということ。反政府軍が家に突然武器をもって押しかけてくるとか、彼らが家族をレイプするとか紛争を題材としたジョークが多い。インテリのシエラレオネ人同僚に言わせれば、辛い過去を受け止めるための心理的な反作用だという。

明るい大阪のジョークでも披露できればよかったが、ネタが思い浮かばず。こういったときのために芸に一つや二つ、隠し持っておくべきか、、、。

2008年7月6日日曜日

シエラレオネのリゾート

日曜日。昨日の選挙も大きな問題なく無事に終了した。今日は家から車で一時間かけて、イタリアレストラン、通称「フランコ」に行ってきた。最近看板をつけたらしく、少しリゾートっぽくなっていた。


ロブスターをたらふく食べ満足。ここまでの道路の悪さもまあ許せるか。このあたりは、政府も今後の観光客を誘致する場所として注目している。世銀のプロジェクトで、市内からここまでの道路の整備も行われている。観光客でにぎわうのはいつのことか、、。