2009年2月28日土曜日

閣僚再編成

2007年の大統領選での政権交代後約1年半経った昨日、コロマ大統領は新しい閣僚の顔ぶれを発表した。

この再編成は以前からささやかれていたが、ついに正式に発表された。我々にとっての目玉人事は、大統領官房にあたる大統領府大臣と、新しい財務・経済発展大臣。我々の支援する大統領府関係のプロジェクトや、ドナーと政府の関係がこれで変わっていくか。

この人事を受けて、今朝ERSGと緊急ミーティングが会った。シエラレオネはもう紛争終了から7年近く経ち、緊急対応の時期は終わっているが、こういった政治的変化には人道支援と同じくらいのスピードで対応する必要がある。

2009年2月23日月曜日

奇妙なバッタ

コノ県で見つけたバッタ。やけに変わった色をしていたので写真に撮っておいた。こんな色のバッタ多くいるのだろうか?

2009年2月22日日曜日

ダイアモンドが採れる街 パート2

前回の続き。

大統領が、「開かれた政府」プロジェクトのコノ県訪問の一環で行ったもう一つは、南アフリカのダイアモンド発掘会社 Koidu Holdingと住民の対話促進。


この会社はコノ県で採掘活動を拡大しているが。その過程で新しい採掘現場に住む人たちを移動させる必要が出てきた。話し合いの中で再定住地が決まり、電気や水道施設などを導入することなども合意したという。しかし実際に、家を建て、住民が移り住んでも、電気や水が通らず住民の不満が高まり、その結果去年の12月に大きなデモを起こした。その対応をした警察官が誤って発砲し、住民の2人が死亡した。事を重視した政府は、法務大臣を座長としたグループを発足させ、この件に関する勧告書を出させたがその実行には至っていない。その後住民と会社の膠着状態が進み、大統領自身が、開かれた政府プロェクトの一環で介入をする決定をした。

今後の動向に注目したい。

ダイアモンドが採れる街

今週末は、コノ県まで1泊2日で行ってきた。コノと言えば、ダイアモンドの採れる場所で有名。今は大がかりな機械で深く掘らなければ出てこないが、以前は雨がふった後の土地を手ですくっただけでも採れることがあったという。やはり街の中もダイアモンド関係の店でいっぱい。

映画ブラッドダイアモンドで描かれたように、この鉱物が紛争を激化させたとされている。実際この場所では激しい交戦が行われたようで、多くの家が焼かれたままでなっている。また銃痕も見られる。

さて、今回は開かれた政府プロジェクトの一環で、大統領・副大統領共にコノ県入りし住民と直接ダイアモンド管理や農業などについて議論を代わすというのが目的。大統領初の訪問ということで、街中のムードも高まっていた。

色々あって、結局副大統領が、大臣数人とともに住民と対話をすることになった。 手で口を覆っているのが副大統領。その奥が大統領府大臣。

なかなかいい質問が出てくる。 約2時間の対話も無事終了。片道6時間かけて、ついさっき帰ってきた。今日はよく寝れそうだ。議論の内容などはまた次回に。

2009年2月16日月曜日

パーティー

ユニセフでインターンをしていたMさんとエバの送別会を兼ねて家でパーティーを催した。日曜日の午後4時から10時頃まで続いた。30人ほどの友人が来てくれた。月曜日は少し二日酔い気味だったが、、、。




2009年2月14日土曜日

ニューヨーク ニューヨーク

2年間の予定で来ていたシエラレオネでの勤務だが、来月でちょうど2年を迎える。次の勤務地について去年の12月の時点で仮決定が伝えられていたが、先週半ばに本決まりした。

新しい勤務先は、ニューヨークのDOCO
開発オペレーション調整室(以前は国連開発グループ室と言われていた)。国連改革の政策策定をする機関で、UNDP, WFP, UNFPAとUNICEFをリーダーとし、33の国連機関で構成される国連開発グループの支援をする。DOCOはUNDPがアドミニスターしているが、UNDPの一部ではないので、一時UNDPを離れることになる。

その中でも、私は紛争中・紛争後の国を担当するチーム入ることになっている。私の前任者はイラク、パレスチナ、ハイチ、アイボリーコーストなどの国を担当し、国連カントリーチームの戦略企画の支援などをしていたという。以前このチームが開催したワークショップに参加したことがあるが、なかなか面白い人が集まっていると感じた。4月1日に着任する。

シエラレオネからニューヨークへの移動で大きな生活・仕事環境の変化になるだろう。 残り少ないシエラレオネでの生活を出来る限り楽しみたい。

2009年2月8日日曜日

マインド・コントロール

土日と両日、ビーチでのジョギングをした。

運送中に味が落ちてしまうのか、おいしいワインが買えないフリータウンで、今日フリータウンンスーパーマーケットでかったアルゼンチンのワインは結構いけることもあり、なかなか気分が好い。

ところで、最近気になっている番組がある。BBCのマインド・コントロールという番組で、デレン・ブラウンなる人がフィーチャーされている。色々な心理的トリックやマジックを使って、無神論者をキリスト教徒にコンバートしたり、人の考えている数字を当てたりする。

一番印象に残っているのがサブリミナル効果を使ったもの。マーケティングの専門家2人を連れてきて、実物大のクマの置物を売るマーケティングのピッチを作らせるのだが、どういうロゴを作るのかを、デレンは予め見事の予測した。トリックは、この2人を連れてくる道中で、様々な仕組みをこらし、2人の印象に残るようなものをちりばめていたこと。例えば、天使の羽を書いたTシャツを着た子供たちがある歩道を横切るとか、印象的な看板の横を通るとかいうもの。そして、実際この2人が書いたものは、これらの、道中で見たものの集合体であった。彼らとしては全くクリエイティブに描いたつもりだったが、実はコントロールされていたということ。

これが本当であれば、かなり考えされられる。当然私自身で起こしていると思っている行動も、社会的な要素に影響をされているのは否定できないだろうが、ここまで統制されているとしたら、、、?

2009年2月4日水曜日

ラクロス

しばらくぶりで、大学時代に所属したラクロス部のOB会から連絡があった。(←部のウェブサイトから)

私は卒業以来全く参加できていないが、OB会の集まりは毎年行われている。創部20年近く経ち、OB会も大きくなってきたので、同期のメンバーについて面白い話を何か書いてくれと言われ、思い出話を書いて送った。

思い起こせば大学時代はラクロスばかりやっていた。毎朝6時前に起きて、川端二条の家から自転車で出町柳の鴨川沿いのグラウンドまで行き朝練。練習後はそのまま学食に直行して昼ごはん。満腹になった後は家に帰って昼寝をするという生活。私の時代は、1部と2部リーグを行き来していたチームだったが、今では全日本選手権にも常連となるほど強くなっているらしい。

その後、ロンドンに留学中も少し余裕が出てきた2学期目から、大学のラクロスチームに参加し、ロンドンの社会人チームや、Oxford大などと週末に試合をしていた。それ以来プレーをする機会はなくなったが(もちろんシエラレオネにチームは無い)、またどこかで出来ることに期待したい。

2009年2月2日月曜日

高品質の氷はシエラレオネで必要か

今日、お隣さんのイタリア人夫婦に招かれ、ディナーをごちそうになった。同席したのは、アレッサンドロがミラノで通う教会の神父と、2日前に氷製造機を売りに来たイタリア人の会社員2人。

正確にいえば、売りに来たと言うよりも、設置しに来たと言った方が正しい。アレッサンドロの働くイタリアのNGOの資金で約500万円の氷製造機を購入し、ある村で、腐りやすい魚を保存できるようにするというプロジェクトの一環らしい。1日に1トンの氷を製造できるらしく、氷製造コストも市価の3分の1でできるというふれこみ。ちなみにこの村で電気は通っていないため、2台の発電機も一緒に設置するという。

しかし、イタリアの氷製造機のコストパフォーマンスは実際のところどうなのか。イタリア製の氷製造機は、おそらく質のいい氷をつくるのだろうが、この国でそれがもとめられているのかは疑問だ。実際、フリータウンで一番大きな氷屋さん「Ice Ice Baby」は中国製の氷製造機を使っており、この2人のイタリア人によれば、中国製の機械は、材料もステンレススチールを使わないとかで価格的には大分安いらしい。このビジネスにおいて、機械が一番大きなコストということを考えれば、中国製の機械を使った方が当然氷の値段も安くなる。

まあ、ディナーの場所であまりかみついてもしょうがないので、氷の彫刻や、氷のホテルなどとりとめのない話をしていたが、やはりヒモ付き援助は、コストパフォーマンスが低下しがちになるということだろうか。